トップ 近現代史の復習

 ①(戦前・明治) ②(戦前・大・昭) ③(戦前・朝鮮) 

④(戦前・中国)⑤(戦前・台湾) ⑥(戦前・ロシア)⑦(戦前・米英蘭) 

⑧(戦後・占領下) ⑨(戦後・独立後) ⑩(現代)


近現代史の復習⑪(まとめ)


防衛意識の現状と戦後レジュームからの脱却


作業中


はじめに

1 防衛意識の現状

(1)「自国への誇り」と「国の為に戦う」 

(2)「国を愛する気持ち」と「国民全体の利益か個人の利益か」

(3)「外国から侵略された場合」と「国を守るという気持ち」

(4)防衛意識の現状(私的見解)

 

2 戦後レジュームの実態

(1)対日占領政策の周到な準備

(2)占領軍の対日政策の基本的な方針

(3)精神武装解除の政策と手段

(4)GHQによる精神的武装解除

 

3 自虐史観と個人最優先の戦後教育

(1)歴史認識問題

(2)自虐史観への洗脳

(3)個人最優先の教育 

(4)無国籍的国民の拡大再生産 

(5)教育分野に残る戦後レジューム

 

4 忠誠義務不在の言論空間

(1)新聞と言論の自由に関する追加措置 

(2)「戦後レジューム」の推進機関と監視機関

(3)日本は愚者の楽園 

(4)マスメディアに残る戦後レジューム

 

5 戦後レジュームからの脱却

(1)安倍元総理の政策

(2)自虐史観からの脱却

(3)教育分野における改革

(4)言論空間の改革

 

おわりに


はじめに


令和4202278日、安倍晋三元総理は奈良市内(近鉄西大寺駅前)における参議院選挙応援演説中に暗殺され、同年927日に「日本武道館」で国葬儀が執り行われ多数の参列者に見送られた。私も国葬儀の当日、九段坂公園に設けられた献花台に半蔵門駅前から約4時間の行列を経て献花して元総理に哀悼の意をささげた。

 

献花した動機は、安倍元総理在任中に実行された政策に対して共感と感謝の気持ちを持っていたこと、私的には安倍元総理の国立京都国際会館で行われた講演を聞く機会があったこと、あるイベントでご夫妻との4ショット写真を撮らせていただく機会が得られたからでもある。

 

私が以前(平成25年~26年)20132014、ボランティア活動において「我が国の防衛意識の現状と今後の課題」をテーマにした調査研究チームに携わっていた際、チームメートから世界価値観調査(平成172005)において「国のために戦う」という回答が調査対象国中で最も少ないことを指摘された。

 

その要因を考察する中で主たる要因は、安倍元総理が提唱されていたいわゆる「戦後レジューム」(憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組み)の残滓が大きく影響しており、安倍元総理は国民の防衛意識を向上させるためには「戦後レジューム」からの脱却が必要であり、その根本は憲法改正にあるとされていた。

 

安倍元総理は、第一次安倍内閣(平成189月~19年9月)20062007において、「美しい国づくり」と「戦後レジュームからの脱却」等をスローガンに「教育基本法の改正」「防衛庁の省昇格」及び「国民投票法の成立」という、歴代自民党政権が成し遂げられなかった難題に取り組まれ、いわゆる「普通の国」を目指されたが、体調不調のため志半ばで退陣された。

 

その後、体調回復等により再登板(平成2412月~令和29月)20122020されて以降、歴史認識問題の改善による自虐史観からの脱却やいわゆる「平和安全法制整備法」(10個の関連法律の改正)(平成279月)2015の制定にも取り組まれた。 また、いわゆる「インド太平洋構想」を提唱され価値観外交を展開され、わが国の国際的評価の向上などで国民の自信と誇りをとりもどしつつあり、戦後レジュームからの脱却に多大の貢献をされたのではと感謝している。 

 

ここでは、防衛意識の現状を確認し、これらに影響を与えた戦後レジュームの経緯と実態を踏まえ、主として安倍政権が注力した教育分野と言論分野(安全保障論議)での戦後レジュームからの脱却の状況を振り返ってみたい。


1 防衛意識の現状


(1)「自国への誇り」と「国の為に戦う」 

(2)「国を愛する気持ち」と「国民全体の利益か個人の利益か」

(3)「外国から侵略された場合」と「国を守るという気持ち」 

(4) 防衛意識の現状(私的見解)


(1)「自国への誇り」と「国の為に戦う」


ア 世界価値観調査

『世界価値観調査』は、世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」(WVS)が1981年から、また1990年からは5年ごとの周期で行われている。ただし、最新の第7回目の調査は前回調査から7年経過した2017年(最新)から2020年にかけて行われた。

 

電通グループと同志社大学がまとめた『「世界価値観調査」レポート』(2021.3.22)では、次のように分析している。

 

〔国際比較からみえる日本の9つの特徴〕

① 仕事:「余暇」重視、「仕事」の重要度は国際的に低い

 

② ジェンダー:「同性愛」への受容度は、ヨーロッパなどの先進国に次ぐ高い水準

 

③ 自由の価値:重視するのは「安全」>「自由」>「平等」。人生の自由度は低いと感じている

 

④ メディア:マスメディアを信頼。新聞、テレビから「毎日情報を得る」が48か国中1

 

⑤ 科学技術:「科学技術によってより大きな機会が次世代にもたらされる」が8

 

⑥ 政治:「政治」の重要度は高いが話題にしない。「国家」に安全を求めるが「権威」を嫌う

 

⑦ 環境vs経済:「環境保護」と「経済成長」との間で逡巡する人が多い

 

⑧ 家族:「家族」が重要で信用しているが、両親の長期介護への義務感は低い

 

⑨ 次世代:子どもに身につけさせたい性質に「決断力」「想像力・創作力」を重視

 

〔調査結果についての考察とまとめ〕

今回の結果から見えてきたのは、日本の人びとは「仕事」よりも「余暇」を重視する一方で、「働くことがあまり大切でなくなる」ことは良しとしない。「政治」への関心は高いが話題にしない。「国家」に安心を求めるが「権威」を嫌う。「環境保護」か「経済成長」かと問われると、わからないとする人が多い。

 

このように一見すると矛盾するような回答や、選択をせまられると逡巡してしまう傾向が随所にみられた。こうした葛藤の背景には、世界が大きく変化していることによる影響がある。

 

少子高齢化の加速はその一つで、調査結果を見ると、日本社会では「家族」を大切にしつつも、両親の長期介護への義務感は低い状況である。介護サービスが普及しているからかもしれないが、そうした社会体制を維持できるかは日本の大きな課題の一つである。

 

一方で、次世代を担う子どもに身につけさせたい性質としては、勤勉さといった伝統的生活価値あるいは工業的価値よりも、創造性などの脱工業社会的な価値を優先させたいという、先を見据えた志向性が垣間見える。矛盾や葛藤を抱えながらも、望ましい社会の構築に向け、人びとがどのような意識のもとで選択をしていくのか、他国と比較しながら今後も追い続ける必要があると考えている。

 

イ 「自国への誇り」と「国の為に戦う」

 WVSでは調査開始以来、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問を継続的に設けている。日本語での設問文の全文は、「もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか」である。

 

 日本国民の「自国への誇り」と「国の為に戦う」という意識が、「はい」の比率が日本の場合、13.2と、調査対象国79カ国中最低で、「いいえ」の比率は48.66位という他国に比し極端に低く、このことが我が国の健全な安全保障に関する世論形勢の大きな阻害要因になっていることが推察された。


(2)「国を愛する気持ち」と「国民全体の利益か個人の利益か」


この調査結果は、内閣府(政府広報室)が令和3202112月の「社会意識に関する世論調査」(2022331日公表)から当該項目を抜粋したものである。

 

ア 国を愛する気持ちの程度

 他の人と比べて、「国を愛する」という気持ちは強い方だと思うか聞いたところ、「強い」とする者の割合が 51.6、「どちらともいえない」と答えた者の割合が 38.8、「弱い」とする者の割合が 8.8となっている。

 

イ 国民全体の利益か個人の利益か

 今後、日本人は、個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだと思うか、それとも、国民全体の利益よりも個人個人の利益を大切にすべきだと思うか聞いたところ、「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」とする者の割合が 60.6、「国民全体の利益よりも個人個人の利益を大切にすべきだ」とする者の割合が 37.0となっている。


(3)「外国から侵略された場合」と「国を守るという気持ち」


この調査結果は、内閣府(政府広報室)が、平成302018111日~121日に実施した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」から当該項目を抜粋したものである。

 

ア 外国から侵略された場合の態度

 もし日本が外国から侵略された場合、どうするか聞いたところ、「自衛隊に参加して戦う」と答えた者の割合が 5.9、「何らかの方法で自衛隊を支援する」と答えた者の割合が54.6、「ゲリラ的な抵抗をする」と答えた者の割合が 1.9、「武力によらない抵抗をする」と答えた者の割合が 19.6、「一切抵抗しない」と答えた者の割合が 6.6となっている。なお、「わからない」と答えた者の割合が 10.6となっている。

 

イ 国を守るという気持ちの教育の必要性

 

国民が国を守るとかいいう気持ちをもっと持つようにするため、教育の場で取り上げる必要があると思うか聞いたところ、「教育の場で取り上げる必要がある」と答えた者の割合が70.4、「教育の場で取り上げる必要はない」と答えた者の割合が 22.3となっている。


(4)防衛意識の現状(私的見解)


「自国に対する誇り」、「国のために戦うか」についての意識が低い根源的要因は、占領統治下(昭和208月~274月)19451952で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により構築されたいわゆる「戦後レジューム」により、戦前の日本の歴史・伝統・文化及び道徳観が徹底的に破壊され、独立回復後も、いわゆる敗戦利得者(渡部昇一氏)と呼ばれる日本人自身により組織的な精神的武装解除(バーンズ米国務長官発言)が継続的に行われてきたことが大きく影響したと云われている。

 

 GHQの占領政策の影響によって、近年まで我が国の防衛意識が低くいままであったが、私は、安倍政権の諸施策で「国の為に戦う」と言う意識が向上したのではないかと期待していた。

 

しかし、前回の世界価値観調査(平成17年公表)で「国の為に戦う」意識が15.1から最新の調査(令和3年2021公表)では13.2と下がっており、これは私にとっては想定外のことであり、いわゆる「戦後レジューム」の影響が今でも強く残っているのではないかと思った次第である。 

 

そこで戦後レジュームの背景となった米国の占領政策の決定経緯とその対日弱体化政策などの実態について触れ、現在の防衛意識の現状を振り返り、戦後レジュームからの脱却について考えてみたいと思う。


2 戦後レジュームの実態


(1)対日占領政策の周到な準備

(2)占領軍の対日政策の基本的な方針

(3)精神武装解除の政策と手段 

(4)GHQによる精神的武装解除


(1)対日占領政策の周到な準備


 「ベノナ文書」等によれば、当時のルーズベルト政権の内部には、米国共産党の影響を受けている要員が多く存在していたといわれ、対日政策も彼らの影響を受けていたと言われている。

 

ア アメリカの日本改造計画による占領政策

〇 情報調整局(OCI)の政策目標草案(ブルジョア革命志向)(昭和164月)1941

OCIの政策目標は、第1は「対日戦争に勝利すること」、第2は「日本から侵略の全果実を奪い返し極東の非抑圧民衆を解放して『4つの自由』(※)を打ち立てること」、第3は「2度と侵略を許さないよう、必要な措置をとること」、第4に「日本に、他の諸国民が信頼するに足るような真の代表政府を作るように鼓舞し、維持すること」としている。

 

※『4つの自由』

 「言論・表現の自由」、「信教の自由」、「欠乏からの自由」、「恐怖からの自由」、識者によれば「社会主義化」といってもよい「自由化」であったとしている。

 また、『4つの自由』を得るためには、日本に「2度と侵略を許さない」ような「真の代表政府」を作るということなのだが、「真の代表政府」そのものが「ブルジョワ革命」を目指すものであったといってよいとしている。

 

〇 戦略情報局(OSS)の日本計画(2段階革命路線)(昭和166月) 1941

 OSSの方針である「日本計画」OCIの政策目標(社会主義化)の線に沿ったものであり、この政策に対するプロパガンダとして、AからHまで『8つの目的』(※)が設定された。

 当面は、封建的勢力である軍国主義者を倒すために市民革命なる「民主革命」を起こし、その完成後に「社会主義革命」によって天皇制をも倒すという二段階の方針である。

 

※『8つの目的(抜粋)』

A:日本人が戦争での不敗神話を打ち崩し、敗北する運命をさとらせること

B : 日本人が『天皇陛下のために死ぬことは永遠に生きること』と思っても、彼らは天子のためでなく、少数の権力に狂った軍国主義者のために自己を犠牲にするのであるから、実際は戦場で死ぬ彼らの息子たちが、神になれないと確信させること」、要するに、日本国民に天皇と軍国主義者を区別させ、軍国主義者の方に戦争責任があると信じ込ませるよう仕向ける宣伝をすべきである

と提言している。  

 

〇 日本人の研究

 米国は、日本研究に当たり、「武士道」(新渡戸稲造著)や「菊と刀」(ルース・ベネディクト)を基に研究を行ったといわれている。

 

〔武士道:新渡戸稲造〕

思想家あるいは教育者として著名な新渡戸稲造が、日本人の道徳観の核心となっている『武士道』について、西欧の哲学と対比しながら、日本人の心のよりどころを世界に向けて解説した名著である。岡倉天心の『茶の本』と並んで、明治期に日本人が英語で書いた著書として重要である。

 

〔菊と刀:ルース・ベネディクト〕

ルース・ベネディクト(18871948年)は、アメリカ合衆国の文化人類学者で、『菊と刀』は、日本文化を説明した文化人類の著作で、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版された。ベネディクトは、フランツ・ボアズより教わった急進的な文化相対主義概念を日本文化に適用すべく、恩や義理などと言った日本文化『固有』価値を分析した。

 

長谷川松治氏の『菊と刀』訳では、ベネディクトは「日本人はアメリカがこれまで国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほど甚だしく異なった行動と思想の習慣を考慮の中に置く必要に迫られたことは、今までになlいことであった」と記している。

 

〇 日本兵捕虜からの情報収集

〔日本兵捕虜秘密尋問所〕

「トレイシー」(中田整一著〕によれば、トレイシーとは1942年に米国カリフォルニア州東コントラ・コスタ郡バイロン・ホット・スプリングスに設けられた日本兵捕虜秘密尋問所であり、ここで、ミッドウェー海戦やサイパン陥落等で捕虜になった日本兵の尋問が行われたという。

 

この尋問所では、米国海軍語学学校等で日本語を学んだ尋問官は、軍事、外交、天皇制など最高政策上の情報、さらには日本人の思想、感情の習性とその背後にある文化の特性、「玉砕」「神風特別攻撃隊」に通底する行動心理の分析など、あらゆる洞察が要求されていた。

 

このため、尋問官は、二人用の収容施設に隠しマイクを設置して盗聴するなどして情報の収集や信憑性の判断に利用したとしている。

 

又、本土空襲の段階には、米軍の合同攻撃目標グループが必要となる、爆撃目標情報などを収集するため、当該情報を有すると思われる捕虜を同尋問所に送り込んでいた。

 

イ 国務省における対日政策の形成(昭和187月~193月) 1943

 米国務省内で戦時中に立案された対日戦後政策の原案で、昭和18 19437月に米国の基本方針をまとめた「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」が起草され、これをもとに昭和193「米国の対日戦後目的」が作成された。

 

この案は日本に対して寛大なものであったため、国務省最高レベルの委員会である戦後計画委員会で強く批判されたが、同年5月にまとめられた修正版も、依然として対日宥和的な政策を基調としていた。

 

 この案は対日政策を三段階に分け、第一段階では「海外領土の剥奪や武装解除などの厳格な占領」、第二段階では「緊密な監視下での軍国主義の一掃と民主化」、そして第三段階で「日本の国際社会への復帰」が想定されていた。対日占領政策の「原型」ともいうべきこの文書をもとに、のちの「初期対日方針」が作成された。

 

ウ グルー演説とトルーマン声明

〇 グルーのシカゴ演説(昭和1812月)1943

  戦前の駐日大使を経て大戦末期に国務長官特別補佐官を務めたジョセフ・グルーが、昭和181229日にシカゴで行った演説において、日本の軍国主義は徹底的に罰しなければならないが、戦後改革には偏見を捨て、日本の再建と国際復帰を助けるべきだと主張した。

 

 そして、天皇を含む日本国民を軍部と区別すべきことを強調し、具体例を挙げて、日本人の

多くが友好的であり「羊のように従順」であることを論じた。

 

 またグルーは、神道は軍国主義者によって教条的に利用されたが、天皇崇拝という面は平和国家再建のため利用できると主張した。

 

 さらに、明治憲法は天皇に主権を与えているため、どの政党も国民主権を主張できないと指摘したうえで、憲法が改正され日本国民が十分な時間があたえられれば、日本に議会制度を再建し政党制度を確立することができるであろうと論じた。

 

 天皇制(皇室)の存続と穏健な改革を提唱したグルーの論調は、国務省知日派の構想と類似していたが、こうした天皇制存置を訴えるグルー演説には、幅広い層から反発が巻き起こった。

 

〇トルーマンの日本国民に対する声明

 ドイツが降伏した昭和20194558日にハリー・トルーマン米大統領が発表した対日声明文は、トルーマンの写真付きで日本語に訳されビラとして投下された。

 

 トルーマンは、日本国民と軍部とを明確に区別しながら、日本軍が無条件降伏するまで攻撃を続けると警告した。

  

 同時に、日本軍の無条件降伏は、日本国民の「抹殺」や「奴隷化」を意味するものではなく、むしろ日本を「破滅の淵に誘引」している軍部の消滅、全線で戦う兵士達の「愛する家族」のもとへの復帰、そして「現在の艱難苦痛」の終わりを意味すると説いた。


(2)占領軍の対日政策の基本的な方針


ア 日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成(昭和208月)1945

 統合参謀本部の承認を受け、国務省・陸軍省・海軍省三省調整会議(SWNCC))が昭和201945811日に承認した「敗北後の日本占領軍の国家的構成」SWNCC705)に対して、同月18日付でトルーマン大統領が承認した覚書であり、日本の占領と軍政における他の連合国の責任と分担に関する米国政府の政策である。

 

 本文書は、最高司令官をはじめ主要な司令官は米国が任命し、米国が軍政において支配的発言権を行使することを規定する一方で、英中ソは米国とともに占領軍への実質的な貢献が求められるとし、米国の主導権は堅持しつつも、他の連合国との協調的な政策を形成する方針が取られた。

 

 本文書はその後、極東諮問委員会といった連合国対日占領管理機関の設置をめぐる議論の中で修正を受け、最終的に、日本本土の占領は米占領軍が主力となり、分割占領は回避された。

 

イ 連合国最高司令官の権限に関するマッカーサーへの通達 (昭和209) 1945 

 昭和201945814日に連合国最高司令官に任命されたマッカーサーに対して、96日、「連合国最高司令官の権限に関する指令」JCS1380/6 =SWNCC181/2)がトルーマン大統領から統合参謀本部を通じて送付された。

 

 この指令は、日本占領に関するマッカーサーの権限は絶対的で広範なものであることを規定し、日本の管理は日本政府を通して行うという間接統治方式を示したが、必要があれば直接、実力の行使を含む措置を執り得るとした。さらに、ポツダム宣言が双務的な拘束力をもたないとし、日本との関係は無条件降伏が基礎となっていると明記した。この指令により、マッカーサーに日本占領に対する全権が与えられた。

 

ウ 米国の「初期対日方針」(SWNCC150(昭和209月)(1945

SWNCCは、日本本土侵攻を目前に控えた昭和2019454月、ほぼ1年前に作成した文書「米国の対日戦後目的」を基に「初期対日政策の要綱草案」を新たに作成し、6月に「対日政策の基本文書」SWNCC150)を作成、7月末に発表されたポツダム宣言を受けて、直接軍政を規定したSWNCC150は修正され、811日付けのSWNCC150/1には、間接統治の意味合いが含まれた。

 

 翌12日、若干の修正が加えられた(SWNCC150/2)後、日本の降伏が予想外に早まったため、緊急措置として修正案作成の主導権は対日占領の直接命令者である陸軍省に移され、陸軍省が大幅な修正を加えたSWNCC150/3では、天皇を含む既存の日本の統治機構を通じて占領政策を遂行するという間接統治の方針が明確化される一方、主要連合国間で意見が相違する場合には米国の政策がこれを決定するとの一節が挿入された。

 

 その後、同文書は統合参謀本部による修正を取り入れ、831日のSWNCC会議で承認された(SWNCC150/4)。 続く96日に大統領の承認を得て、22日国務省がこれを発表(SWNCC150/4/A)、日本では24日付けで各紙に報道された。  

 

 SWNCC150/4では、占領の究極目的として、平和的で責任ある政府の樹立と自由な国民の意思による政治形態の確立をうたっていた。

 

これに対して日本国外務省は、930日付けの「降伏後ニ於ケル米国初期対日方針説明」において、米国は天皇制を含む日本の統治形式の存続を保障している訳ではなく、「過去の経緯」及び「自国の利害打算」から、変革が外部から強要された形を取ることを避け、日本の政府、国民が「自発的」に現存の統治制度を改革することを期待していると分析した。

 

エ ポツダム宣言の受諾と対日初期占領方針の指令(昭和20年9月)1945

 昭和20(1945)726日に発せられたポツダム宣言の第6項には「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」と記されており、814日に日本政府はこの宣言を受諾した。

 

 922日の「降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針」で、米国はマッカーサーに対し「日本国国民ニ対シテハ其ノ現在及将来ノ苦境招来ニ関シ陸海軍指導者及其ノ協力者ガ為シタル役割ヲ徹底的ニ知ラシムル為一切ノ努力ガ為サルベシ」と指令した。 

 

 GHQは昭和201945102日、一般命令第4号に於いて「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と勧告した。


(3)精神的武装解除の政策と手段


ア 日本の「軍国主義」排除と民主化政策

 具体的な精神的武装解除については、次の産経新聞の特集記事(産経新聞令和420221120日・特集「主権回復:第5部:日本復活の未来」)によると、次の通りである。

 

〔神道指令〕軍国主義者が戦争のために利用したとして国家神道を廃止し、国家による神道、神社への財政援助などを禁じた。 

 

〔日本国憲法制定〕国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の3原則。GHQの原案が基になる。 

 

〔教育改革〕教育基本法制定。教育勅は失効。GHQが干渉したとされる。平成182006改正で「伝統」の継承推進などが盛り込まれる。 

 

〔経済改革〕「軍国主義」の経済的基盤とされた財閥を解体労働組合結成など労働者の権利を保障。地主制度を廃止する農地改革を実施。 

 

〔秘密警察などの廃止〕治安維持法特別高等警察を廃止 

 

〔選挙制度改革〕女性に参政権を付与

 

イ 精神的武装解除の手段

 この精神的武装解除の手段として、教育分野では、教育委員会制度を設け政治的な影響力を排除し、日教組を組織化し日教組主導による「教育現場」におけるいわゆる戦後民主主義教育が利用された。

 

 また、教職追放により保守的な学者が排除されて革新的な学者が登用され、さらに、学術界においても日本学術会議での軍事研究の排除決議等がなされた。

 

 また、プレス・コード/ラジオ・コードに制約された新聞・ラジオによる太平洋戦争史・真相箱等の宣伝工作や、秘密裏に行われた検閲・言論統制による情報操作や論壇における自称「進歩的文化人」による言論活動が大きく影響してきたと言われている。

 

 国民に対する自虐史観の刷り込みにおいては、極東国際軍事裁判による贖罪意識の植え込みが絶大な効果を発揮し、例年815日が近づくと新聞・テレビ等で靖国神社参拝を問題視するなど、現在までも大きな影響を与えているように思える。


(参考)新聞倫理綱領


概要(引用:Webサイト)

 新聞メディアがその総意として遵守することを誓約した憲章。2000年(平成12)6月、日本新聞協会は、1946年(昭和21)に制定して以来長く護持してきた倫理綱領を全面的に改め、新しい新聞倫理綱領を制定した。

 

 新綱領は、旧綱領と同じく、新聞が高い倫理水準を保ち、職業の権威を高め、社会から期待される責任を果たすための指導理念であることを約束した。

 

 その前文で、国民の知る権利が民主主義社会を支える普遍の憲法原理であることを訴え、新聞がその担い手としてもっともふさわしいと述べ、本文においては、「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の5項目を掲げて、21世紀の新聞の使命を説いている。

 

 旧綱領は、第二次世界大戦後の1946年(昭和21)、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指導と示唆を受けて、日本新聞協会が制定した。それは、当時の時代状況を反映して、日本が民主的平和国家として発展するという理念に基づき、新聞の「指導精神」として作成された。

 

 なお、これを基盤として、54年には「新聞販売綱領」、76年には「新聞広告倫理綱領」が制定され、これらは2000年時点においても堅持されている。ただし、新しい綱領は「品格と節度」の項で、広告表現の品格とともに販売における節度と良識をも説いている。

 

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新聞倫理綱領(2000(平成12)6月21日)             (引用:一般社団法人日本新聞協会HP)

 

 21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。

 

 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。

 

 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。

 

  編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。

 

〔自由と責任〕 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。

 

〔正確と公正〕 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

 

〔独立と寛容〕 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。

 

〔人権の尊重〕 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。 

 

〔品格と節度〕 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。

 

 新聞倫理綱領は1946(昭和21)年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定されたものです。社会・メディアをめぐる環境が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしい規範として、2000年に現在の新聞倫理綱領が制定されました。

 

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旧新聞倫理綱領

 

 日本を民主的平和国家として再建するに当たり、新聞に課せられた使命はまことに重大である。これを最もすみやかに、かつ効果的に達成するためには、新聞は高い倫理水準を保ち、職業の権威を高め、その機能を完全に発揮しなければならない。

 

 この自覚に基づき、全国の民主主義的日刊新聞社は経営の大小に論なく、親しくあい集って日本新聞協会を設立し、その指導精神として「新聞倫理綱領」を定め、これを実践するために誠意をもって努力することを誓った。そして本綱領を貫く精神、すなわち自由、責任、構成、気品などは、ただ記者の言動を律する基準となるばかりでなく、新聞に関係する従業者全体に対しても、ひとしく推奨さるべきものと信ずる。

 

第1  新聞の自由

 公共の利益を害するか、または法律によって禁ぜられている場合を除き、新聞は報道、評論の完全な自由を有する。禁止令そのものを批判する自由もその中に含まれる。この自由は実に人類の基本的権利としてあくまでも擁護されねばならない。

 

第2  報道、評論の限界

 報道、評論の自由に対し、新聞は自らの節制により次のような限界を設ける。

 

イ 報道の原則は事件の真相を正確忠実に伝えることである。

 

ロ ニュースの報道には絶対に記者個人の意見をさしはさんではならない。

 

ハ ニュースの取り扱いに当たっては、それが何者かの宣伝に利用されぬよう厳に警戒せねばならない。

 

ニ 人に関する批評は、その人の面前において直接語りうる限度にとどむべきである。

 

ホ 故意に真実から離れようとするかたよった評論は、新聞道に反することを知るべきである。

 

第3  評論の態度

 評論は世におもねらず、所信は大胆に表明されねばならない。しかも筆者は常に、訴えんと欲しても、その手段を持たない者に代わって訴える気概をもつことが肝要である。新聞の高貴たる本質は、この点に最も高く発揚される。

 

第4  公正

 個人の名誉はその他の基本人権と同じように尊重され、かつ擁護さるべきである。非難された者には弁明の機会を与え、誤報はすみやかに取り消し、訂正しなければならない。

 

第5 寛容

 みずから自由を主張すると同時に、他人が主張する自由を認めるという民主主義の原理は、新聞編集の上に明らかに反映されねばならない。おのれの主義主張に反する政策に対しても、ひとしく紹介、報道の紙幅をさくがごとき寛容こそ、まさに民主主義新聞の本領である。

 

第6  指導・責任・誇り

 新聞が他の企業と区別されるゆえんは、その報道、評論が公衆に多大な影響を与えるからである。

 

 公衆はもっぱら新聞紙によって事件および問題の真相を知り、これを判断の基礎とする。ここに新聞事業の公共性が認められ、同時に新聞人独特の社会的立場が生まれる。

 

 そしてこれを保全する基本的要素は責任観念誇りの二つである。新聞人は身をもってこれを実践しなければならない。

 

第7 品格

 新聞はその有する指導性のゆえに、当然高い気品を必要とする。そして本綱領を実践すること自体が、気品を作るゆえんである。その実践に忠実でない新聞および新聞人は、おのずから公衆の支持を失い、同志の排斥をこうむり、やがて存立を許されなくなるであろう。

 

 ここにおいて会員は道義的結合を固くし、あるいは取材の自由を保障し、または製作上の便宜を提供するなど、互いに助け合って、倫理水準の向上保持に努めねばならない。

 

 かくて本綱領を守る新聞の結合が、日本の民主化を促進し、これを保全する使命を達成すると同時に、業界を世界水準に高めることをも期待するものである。

 

(1946年7月23日制定・1955年5月15日補正 2000年6月21日新綱領制定まで存続した) 


(4)GHQによる精神的武装解除


ア 精神的武装解除の究極の目標  国民の連帯感の喪失

 GHQは、戦前から田中英道氏の著作『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」-二段階革命理論と憲法』に記されているような対日占領計画を検討していたが、今次の対日戦争を通じて日本の強靭さに触れ、将来再び米国の脅威とならないよう政治・経済・教育・言論等のあらゆる分野で日本弱体化政策を推進し、特に、日本国民が見せた団結力を恐れ、団結の基になっている皇室・信仰・歴史・文化を破壊し根絶やしにして国民の連帯感が無くなることを「究極の目標」としたといわれている。

 

イ 戦後レジュームの布石 ⇒ WGIP

GHQは、日米戦争中から立案され周到な計画ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIPの諸施策として、「極東国際軍事裁判」による戦犯処刑、「公職追放」による保守層の排除、「太平洋戦争史、真相箱」での宣伝工作及び「プレス・コード、ラジオ・コード」の言論統制により、軍国主義者(日本政府と日本軍)と国民の分断を図り、軍国主義者に戦争責任を転嫁し国民に贖罪意識を刷り込み、力と弾圧によって、民族の歴史、道徳、団結心等を奪って日本人の誇りと自信を打ち砕くことを期していたとされている。

 

 また、日本弱体化を永続させるため、日本国憲法で「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」といういわゆる「戦後民主主義」を規定し、教育基本法、学校教育法、言論統制及び宣伝工作等により、この体制を擁護するという「戦後レジューム」構築のため周到な布石を打った。

 

ウ 教育の自由化  自虐史観(敗戦利得者史観)

GHQは、先ず「教育の自由化」として修身・歴史・地誌等の教育を破棄させ、同時にラジオ・新聞で宣伝工作した「太平洋戦争史」(大東亜戦争の用語を禁止等)を教科書化し、「教科書検閲の基準」で天皇・国家的拡張・愛国心等につながる用語の使用を禁止した。

 

 また、GHQは、道徳的規範であった「教育勅語」を廃止させ、「個人の尊厳」を最優先した教育基本法(旧)を制定させ、これらにより日本人自身による無国籍的な市民の拡大再生産を計ったと云われている。

 

また、学校教育制度の骨幹である学校教育法(旧)等を制定させ、教育委員会の設置や日本教職員組合の結成により、いわゆる教育現場での国旗掲揚国歌斉唱に政治的な強制が及ばないようにし、国家は戦争をする悪であるという教育が長らく続いていたとされている。

 

加えて、教職追放令を徹底するため、文部省主導により全国の地方自治体に教職員資格審査を強要し、日本人自身により保守的な教職員を排除していったといわれている。

 

 これらのいわゆる精神的武装解除により、戦後の日本人は、これまでの歴史・伝統・文化及び道徳的価値観から隔絶され、自国に対する誇りと愛国心を失い個人の権利ばかり主張し公に奉仕する意識が希薄になっていったのではないだろうか。

 

エ 言論統制と検閲  日本弱体化

 “WGIP”の実行は、GHQの民間情報教育局(CI&E)が強力に展開した。これは民間検閲支隊(CCD)による検閲と相乗効果をなして、日本弱体化を進めるものであった。 

 

 昭和23年2月6日のCI&E発行の文書に、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」というものがあり、計画実施の中間報告とでもいうべきものである。その文書の冒頭には「民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植え付ける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼしてきた民間情報活動の概要を提出するものである」と書かれている。

 

 またこの文書は「“WGIP”を、広島・長崎への原爆投下に対する日本人の態度と、東京裁判中に吹聴されている超国家主義的宣伝への、一連の対抗措置を含むものまでに拡大するにあたって、採用されるべき基本的な理念、および一般的または特殊な種々の方法について述べている」と記している。 

 

 原爆投下への批判や日本側の言い分を圧殺しようとする計画として、

「第1段階のa:太平洋戦争史」、

「第1段階のb:記憶と歴史の剥奪」、

「第2段階:東京裁判の準備」、

「第3段階:原爆批判と日本の言い分の封殺」

3段階に分けて行われたとしている。

 

言論分野では、公職追放の影響や共産主義革命の風評もあり、戦後民主主義を信奉する「進歩的文化人」は、マスコミ、論壇や学界等で「国家は戦争をするから悪であり、憲法は国家を縛るものだ」という国家観や「日本は侵略国家だった」とする自虐的な歴史認識を煽ってきた。

 

 また、日本人は、憲法前文の国際協調主義の影響や教科書において「国民」・「国家」・「我が国」等の用語の使用が制限されたこともあり、市民意識はあるが国民意識がないという無国籍人間に作り上げられてきたのではないだろうか。


(参考)GHQ路線の継承者


(引用:「ディープステート/世界を操るのはだれか」(WAC(株)馬渕睦夫著P186~P192)

 

○項目「GHQによって日本を社会主義化した」の一部抜粋(一部省略)

 

 世界共産化を目指していたディープステートは、GHQを通じて今度は日本の共産化を目指すのですが、その前段階として日本社会を社会主義的制度に改造しようと試みました。

 

 GHQを牛耳っていたのはニューディーラー社会主義者たちでした。(中略)

 

 「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」(モルデカイ・モーゼ著/沢口企画、2019年)において、GHQのマッカーサー最高司令官がニューディーラーたちの操り人形であり、GHQへの社会主義化の具体的指令はアメリカ国務省内に居残ったニューディーラー・グループから送られ、民政局長のホイットニーや次長のケーディス大佐が中心となって、これらの指令を実行したと明らかにしています。特に注目されるのは、日本国憲法ワイマール憲法の丸写しとの指摘です。

 

 日本国憲法を貫く精神は、「被害者たる一般国民を加害者たる国家から守る」という対立社会観二元論に基づいているのです。そのために、国民に自由と平等の権利を付与し、この権利を保障する義務を国家に負わせたのです。

 

 このように、自由と平等の非両立性に基づく国家(政府)と国民との対立構図戦後民主主義と呼ばれるものの実態であり、75年にわたり日本人の精神的劣化を齎してきました。その意味で、日本国憲法こそ日本人の純度を劣化させた張本人と言えるのです。

 

 ワイマール共和国と占領日本の違いは、GHQのニューディーラーたちはいずれ日本を去らなければならないということです。

 

 そこで、彼らが退去した後の日本をGHQ路線(ニューディーラー的社会主義)に縛り付けておくために、各界に彼らのエピゴーネン(継承者)を残しました。

 

 日本国憲法は日本共産党を先頭とする絶対的護憲政党、東京裁判史観についてはWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムー戦争の罪悪感を植え付ける洗脳プログラム)を正当化するプレスコード遵守するメディア、優秀者が公職追放された後、居残って学界や教育界を支配する二流学者。これら残置諜者(占領終了後もGHQの路線を忠実に守る日本人協力者)が後生大事に戦後民主主義体制という思想支配を守って今日に至っているのです。


3 自虐史観と個人最優先の戦後教育


(1)歴史認識問題

(2)自虐史観への洗脳

(3)個人最優先の教育 

(4)無国籍的国民の拡大再生産 

(5)教育分野に残る戦後レジューム


(1)歴史認識問題


「ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶を消すことだ」という箴言がある。アメリカは、この古来の鉄則に忠実に、日本の弱体化政策を実行した。つまり、日本民族の固有の記憶と歴史を剥奪し、代わりに勝者の歴史を吹き込んだのである。与えられた勝者の歴史とは、

WGIP”の第1段階において決定的な役割を果たした『太平洋戦争史』であった。

 

 そして、民族の固有の記憶=歴史の剥奪には、『太平洋戦争史』が出された1週間後の昭和20年(1945)12月15日に発せられた「神道指令」が重大な効果をもたらした。「神道指令」は、日本固有の民族的信仰の神道と国家との結びつきを禁止するものであった。戦後間もない頃には、神道は、日本の「侵略戦争」の思想的根源のように見られていた。

 

GHQは、「神道指令」と同時に、神武天皇による日本建国の理想とされた「八絋一宇」という言葉の使用を始め、日本民族の理想やロマンを伝える伝承や神話の抹殺を命じた。古事記・日本書紀はもちろん、古くからのおとぎ話までが消された。同時に、楠木正成、東郷平八郎などの国民的英雄の名が削られ、反対に足利尊氏、幸徳秋水ら反逆者や不忠者を讃えられた。 

 

 また、西郷隆盛吉田松陰らに関する本の発行も禁止された。彼ら明治維新の英傑たちは、西洋の植民地化に対抗して、日本の独立を守り、アジアの興隆を目指した指導者であったから、近代日本の背後にある危険思想と見なされたのであろう。


(2)自虐史観への洗脳


GHQの占領政策は、一方において日本を基本的人権の尊重民主主義体制の国家へと導いたが、日本人の精神的武装解除の根幹として軍国主義の排除と民主化のため「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」(戦後民主主義)を柱とする日本国憲法を制定、この価値観を担保するため教育基本法の制定、教職追放令の公布、教職員組合の組織化、言論統制・検閲等、教育・言論分野での「戦後レジューム」を構築したと云われている。

 

 中でも「教育の自由化」を最も重視し、先ず歴史・地誌・修身の教育を破棄させ、主要大学の文学部教授等の協力を得て7000冊に上る図書を「没収宣伝用刊行物」(※)として没収し、これまでの歴史・伝統・文化及び道徳的価値観から国民を隔絶させた。

 

 同時に軍国主義者と国民の分断を図るため、前述したように「太平洋戦争史」「眞相はかうだ」等を新聞・ラジオで宣伝して軍国主義者に戦争責任を転嫁し、この戦勝国史観を教科書化して国民への贖罪意識の刷り込みを図った。

 

「没収宣伝用刊行物」

戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など7769冊に及ぶ書物が官公庁、図書館、書店などから「没収宣伝用刊行物」として没収され、廃棄された。「個人宅と図書館を除くあらゆる場所から、秘密裏に没収し、紙パルプに再利用するという名目で、事実上の廃棄処分にした。」とされることもある。

 

原爆関連として、栗原貞子の詩「生ましめん哉」、峠三吉の詩「にんげんをかえせ」など、壺井栄の短編小説「石臼の歌」では、原爆によって家族を失った登場人物(遺族)たちの心理描写がほぼ削除され、疎開先である田舎の風景の描写を増補した表現に差し替えられている。

 

永井隆の『長崎の鐘』は昭和2119468月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部GHQの検閲により出版許可が下りず、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、昭和2419491月、日比谷出版社で出版された。

 

雑誌『創元』昭和21194612月創刊号に掲載予定だった吉田満による戦記文学『戦艦大和ノ最期』はGHQの検閲で全文削除された。独立回復後の昭和271952に創元社から出版。


(3)個人最優先の教育


 次いで教育基本法を制定したが、同法制定時は「教育勅語」(※1)は効力を有しており、同法は教育勅語が存続するとの考えだったが、制定後GHQの口頭指示により昭和23年1948)6月19日、衆議院「教育勅語等排除に関する決議」・参議院「教育勅語等の失効確認関する決議」で教育勅語・軍人勅諭等の指導性が否定された。

 

 教育勅語が廃止されたことにより、教育基本法に基づく戦後教育は「個人の尊厳」が指導理念となる一方、道徳的規範が軽視され「公」との調和が置き去りにされた。また、「教科書検閲の基準」で愛国心につながる用語(国体・国家・国民的・わが国)等の使用が禁じられ国家意識と誇りの喪失につながったと云われている。 

 

 冷戦や朝鮮戦争を契機として、占領政策は日本再生の方向(反共=逆コース)に軌道修正されたが、GHQの意に反して教育分野での教職追放令(※2)の影響が残り、教育現場では「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンの下、「国家=戦争=悪」でその象徴である「日の丸・君が代」反対という「平和教育」が行われた。

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 ※1 教育勅語

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 

 

 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 

 

 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 

 是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

 

 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 

明治二十三年十月三十日  御名御璽

 

(参考1)振り仮名付き(引用:Wikibooks)

 朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)

 

 我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(こころをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)

 

 爾(なんじ)臣民(しんみん父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉(きょうけん)(おの)レヲ持(じ)博愛(はくあい)(しゅう)ニ及(およ)ホシ(がく)ヲ修(おさ)(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ以(もっ)智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)德器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進(すすん)公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ世務(せむ/せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)國憲(こっけん)ヲ重(おもん)國法(こくほう)ニ遵(したが)一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ以(もっ)天壤無窮(てんじょうむきゅう)皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ

 

 是ノ如キハ(かくのごときは)獨リ(ひとり)(ちん)カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又(また)以テ(もって)(なんじ)祖先(そせん)遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン

 

 斯ノ(この)(みち)ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)(ところ)

 

 之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)

 

明治二十三年十月三十日 御名御璽(ぎょめい ぎょじ)

 

(参考2)現代語訳(引用:Wikibooks)

 文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章

 

 朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

 

 汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

 

 かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

 

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫いて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

 

明治23年10月30日 明治天皇自署、御璽捺印

 

(参考3)12の徳目(引用:Wikibooks)

 以下のように、教育勅語から12個の項目を抜き出して列挙したものが、第二次世界大戦後の日本において、『12の徳目』と呼ばれている。

 

1.父母ニ孝ニ(親に孝養をつくしましょう)(孝行)

 

2.兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)(友愛)

 

3.夫婦相和シ(夫婦はいつも仲むつまじくしましょう)(夫婦の和)

 

4.朋友相信シ(友だちはお互いに信じあって付き合いましょう)(朋友の信)

 

5.恭儉己レヲ持シ(自分の言動をつつしみましょう)(謙遜)

 

6.博愛衆ニ及ホシ(広く全ての人に愛の手をさしのべましょう)(博愛)

 

7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ(勉学に励み職業を身につけましょう)(修業習学)

 

8.以テ智能ヲ啓發シ(知識を養い才能を伸ばしましょう)(知能啓発)

 

9.德器ヲ成就シ(人格の向上につとめましょう)(徳器成就)

 

10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)(公益世務)

 

11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)(遵法)

 

12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう)(義勇)

 

以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 

『12の徳目』などと呼ばれているが、文部省の公式名称ではなく、命名者は不明である。

※()内は、Yahoo知恵袋から引用 

 

(参考4)現代における教育勅語の評価(引用:Wikibooks) 

 

〔批判的な評価〕

・公開直後から組織的な命令によって過剰な神聖化がなされた経緯もあり、思想や良心の自由を否定している、という意見もある。

 

・モーセの十戒・仏教の五戒と異なり、人倫を全く説いていない内容。

 

・軍人の規律を説く軍人勅諭と同列のものであり、軍事教育や軍国主義につながる、という意見もある。(連合国軍最高司令官総司令部による占領統治時代に連合国軍によって教育勅語が廃止されたのは、この理由「軍国主義につながる」から)

 

・根本的理念が、主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。(1948年に衆議院によって決議された『教育勅語等排除に関する決議』より)

 

・教育の根本に天皇中心の国体思想を据えたこと自体が問題であるという意見もある。

 教育学者で元国立教育研究所所員・日本大学文理学部教授の佐藤秀夫は、

「教育勅語の基本的趣旨は、その冒頭における、天照大神に起源する(皇祖)歴代皇統(皇宗)の徳治と臣民全体のそれへの終始変わらぬ忠誠の関係、つまり皇国史観により捉えられる君臣関係を軸とする国家構成原理、すなわち『国体』にこそ、日本の教育の淵源が存すると規定したところにある。」

と述べている。

 

・また、教育勅語に示されている徳目は「歴史的にこの国の民衆の間に形成されてきた通俗道徳項目に過ぎない」として、重要なのはそれらの徳目が「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられていたこと、すなわち、「日本における道徳は、すべて天皇制の発展に寄与してこそ、はじめて意味を持つということになっていた」ことであると指摘している。

 

〔肯定的な評価〕

 現代語訳での12の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範となるものがあってもいいのではないかという意見もある。

 多くの国や宗教で古くから普遍的にある道徳を、明治当時の日本の国情に合わせて記述したものにすぎない、というような意見もある。

 

 桐蔭横浜大学学長鵜川昇によれば「『カトリックの倫理綱領と同じ』であり、『日本人としての根本倫理』を表したものとして講義を続けた栄光学園のグスタフ・フォス校長(神父)」のような教育者も過去には存在したという。また、三重県伊勢市の皇學館高等学校は教育勅語を教材の中に取り入れており、現代の社会において欠けているものが教育勅語にあるからこそ、生徒が暗唱をしている。

 

(参考5)教育勅語の排除・失効確認(引用:Wikibooks)

 唱和23年(1948)6月19日に教育勅語について、衆議院では排除、参議院では失効確認がされた。決議文の内容を見ると両議院で微妙に見解が異なり、法学的な観点からは次のような議論がされることがある。

 

 衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」を決議し、

「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。(第98条第1項)

という日本国憲法の本旨に従い、教育勅語等を排除することを宣言した。

 

 この決議については、教育勅語に国務大臣の副署がなく国務に関しない詔勅であったため、このようなものも排除できるのかという点で疑問とされる場合もあるが、日本国憲法が排除する詔勅を国務に関するものに限定する規定もまた存在していない。

 

 参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、その決議文の中で、

「日本国憲法の人類普遍の原理に則って教育基本法を制定して、教育の誤りを徹底的に払拭して民主主義的教育理念をおごそかに宣明した結果として、教育勅語は、既に廃止せられその効力を失っている」

とした。

 

 ただし、日本国憲法にも教育基本法にも教育勅語を「廃止」する旨の規定が明文で定められていないことから疑問とされる場合もある一方、実質的に教育勅語が大日本帝国憲法と一対のものであったということから新憲法の制定によって実質的に廃止されたとされる場合もある。

 

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※2 教職追放令(引用:世界大百科事典)

 文部省は11月2日,自由主義教授の復職と軍国主義者等の解職を通達,同月4日,東京帝大経済学部臨時教授会は大内兵衛(マルクス経済学者),矢内原忠雄教授(無教会主義・植民政策学)ら7名の復職と橋爪明男(「経済統制論」等),難波田春夫(「国家と経済」等)ら5名の退職を決定した。

 

 以後、各大学・高校(旧制)等で自発的退職,GHQによる指名退職等がはじまったが,日本政府による教職追放は,公職追放令後の昭和21年(1946)5月7日の勅令「教職員の除去,就職禁止及復職等の件(教職追放令)」以降である。

 

 これにより,職業軍人や文部省思想局,同教学局等の2年以上の在勤者 (1937年7月7日~45年9月2日の間),公職追放者等の就職を禁止し,他の教員全員に対しては都道府県教員適格審査委員会等 (他に学校集団教員,大学教員,教育職員適格審査委)による審査を義務づけ,判定を不服とするものの上告機関として中央教職員適格審査委員会も設置した。


(4)無国籍的国民の拡大再生産


現在、無国籍的な世代が政界、官界、学界、経済界、言論界等の中枢にも及び、国会・政治の場においても日本を弱体化しかねない法案が提案されているが、それに気付いている国民は少ないのではないか。 

 

 加えて、報道・出版分野(マスコミ分野)においても公職追放(※)の影響を受け「左派」勢力や共産主義シンパが大幅に伸長し、独立回復後の言論空間でも「国家=戦争=悪」「日本=侵略国家」という国家観や歴史認識が主流を占めた。

※ 公職追放(マスコミ分野)

1)伊豆富人:九州日日新聞社社長。衆議院議員。

 

2)加藤謙:講談社「少年倶楽部」編集長。後に学童社を創立し「漫画少年」を発刊。手塚治虫らを育てた。

 

3)菊池寛: 作家、大映社長。内閣情報部参与として文芸銃後運動を提唱。追放中の1948年に死去。

 

4)正力松太郎:読売新聞社長。1945年、A級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される。1947年に不起訴で釈放され、その後追放される。1951年、追放解除。

 

6)徳富蘇峰: ジャーナリスト、思想家。1945年にA級戦犯指定を受ける(不起訴)。のちに追放を受け、1952年解除。

 

7)前田久吉:大阪新聞社長。報道での戦意高揚のため。1946年から1950年10月まで追放。

 

8)松本重治: 日本のジャーナリスト。財団法人「国際文化会館」(東京都港区六本木)の専務理事。理事長。アメリカ学会の会長。1947年から公職追放。 


(5)教育分野に残る戦後レジューム


GHQ発足当初の占領統治は敵愾心も加わり厳しいものであったが、冷戦や朝鮮戦争勃発により緩和され、「逆コース」といわれる反共政策に転換され公職追放解除がなされ、「レッド・パージ」による共産勢力排除に切り替えられた。

 

 しかし、教職員の公職追放の影響は甚大で、特に、主要大学では戦前に教育分野で活躍していた保守派が追放されて、排除されていた革新派が登用され、その教え子が全国の教育現場で戦後民主主義教育の担い手となったため、偏向した教科書(※)や試験問題を通じて国家観、歴史認識及び倫理観が歪められ、国旗国歌反対、自虐史観、道徳軽視という反日的教育で非日本人の拡大再生産が続いた。

 

その影響は、現在、各界の中枢に及んでおり、特に安全保障分野での国論の分裂につながっている。

 

 又、最近、菅前政権時代(令和29月~310月)(20202921)の日本学術会議会員の任命拒否問題に関連して、

日本学術会議の過去の声明、

①昭和25年(1950)に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明

②昭和42年(1967)には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」、

③平成29年(2017)の「軍事的安全保障研究に関する声明」

が話題になっているが、これも後レジュームの残滓であると思っている。

 

偏向した教科書

学校現場における歴史関連も含めた教科書の選定には、学習指導要領、教科書出版会社、文科省教科書検定、各種学界、市区町村教育委員会、市区町村教職員団体等が複雑に絡んで行われているといわれているが、検定に当たって文科省の検定官は学習指導要領と学界多数意見を参考にしており、市区町村の教科書の選定は、当該地区町村の教育委員会が教職員団体等の意見を参考にして決定しているとのこと。

 

現在の学界(特に大学)の歴史認識は左翼的な見解が優勢と言われており、教職員団体も日教組の影響が強いと言われている。

 

このような体制で偏向した教科書選定が行われており、歴史教育の分野においての戦後レジュームが維持されてきたのではないだろうか。

 

歴史関連の書籍を見ても、自虐史観に囚われない書籍の著者に大学教授は少なく、高校教諭の著書が多くみられるのは、私だけの偏見だろうか。新しい教科書を創る会の藤岡信勝氏は、その著書「『教科書抹殺』(文科省は「つくる会」をこうして狙い撃ちした)」で、次のように記述している。

 

・「つくる会」教科書を不合格にして版元にとどめを刺すため、変更された検定ルール 

 

・安倍政権下でひそかに進められた、「つくる会」以前の自虐史観へ時間の針を戻そうとする文科官僚のクーデタ 

 

・「これは不正検定事件だ! 」教科書検定の偏向を暴き、徹底告発!  

 

・天皇と皇室をどうしても認めたくない願望  

 

・近代日本国家の歩みを否定したい難癖 

 

・中国・韓国への忖度で「近隣諸国条項」復活!

 

・共産主義批判を許さない思想偏向

 

  ほか、100件の具体的事例を挙げて解説


4 忠誠義務不在の言論空間


(1)新聞と言論の自由に関する追加措置 

(2)「戦後レジューム」の推進機関と監視機関

(3)日本は愚者の楽園 

(4)マスメディアに残る戦後レジューム


(1)新聞と言論の自由に関する追加措置


GHQは、極東国際軍事裁判の戦犯訴追や公職追放による保守層排除によって日本国民をひるませ、発行禁止等の強制力を持つ言論統制や検閲で日本国民の精神をコントロールしようとした。 

 

 特に、昭和天皇とマッカーサー将軍との会談の写真掲載(※1)を巡って出されたGHQ指令「新聞と言論の自由に関する追加措置」(※2)(昭和20年(1945)9月29日/9月27日適用)は、「日本の正義よりGHQの正義を優先し、日本の不名誉と不利益及び国家の解体と消滅を志向するものでもよい、換言すれば国家に対する忠誠義務から完全に解放された」(江藤淳氏)ものであり、自己規制により日本国家・政府への「忠誠義務不在の言論空間」が形成されたかのようである。


※1会談の写真掲載

日本政府(内務省)が、昭和天皇とマッカーサー将軍の会談の写真を掲載した3大新聞を9月28日に発行停止を命じたことに対して、GHQが9月29日に追加措置を発令して掲載を許可し、これを9月27日に遡って適用した。

 

※2「追加措置」

「追加措置」は、「新聞の自由」冠せられている通り、「言論及び新聞の自由に関する覚書」(9月10日)「新聞の政府よりの分離に関する覚書」(9月24日)に引きつ続く自由化指令である。

これによって、新聞紙法・国家総動員法・新聞紙等掲載制限令・新聞事業令など、戦前戦時にわたって日本政府の言論報道取締宣伝活動を根拠づけていた12の法規は、事実上失効させられた。

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参考:「占領軍による言論政策と言論の自由」

(引用:Webサイト「右崎正博氏」論文抜粋・要約)

 

戦後我が国における、言論の自由抑制の ”市民社会への内在化“「自主規制」の成立に、もっとも大きな影響を与えたのは、占領軍の言論政策であったように思われる。

 

〔占領軍の言論政策〕

●「ポツダム宣言」第10条(1945.7.26)

「日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の璋磯を除却すべし。言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし」

 

●覚書「政府から新聞を分離する件」(1945.9.24)

日本新聞公社、同盟通信社が解体され、戦時下における新聞、通信の独占体制が崩された。

 

●覚書「新聞言論の自由に関する追加措置」(1945.9.27)

十三におよぶ戦前、戦時の言論統制法令が廃止された。

 

●「新聞映画通信に対する一切の制限法令の撤廃の件」(1945.9.29)

 新聞以外の分野にも自由が拡大された。これは、「遠く明治42年(1909)に遡る」「あらゆる形式の自由を制限する法令」の撤廃を要求するものであった。

 

●覚書「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限除去の件(1945.10.4)

治安維持法、思想犯保護観察法、宗教団体法をふくむ十五の法令と、それらを「改正、補足、執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及び規則」の廃止と運用の停止を指令するものであり、同時に、一切の秘密警察機関、検閲、監督、保護観察などを営む内務省、司法省、警察などの関係諸機関部局の廃止を指令するものであった。

 

〔新聞の言論統制の経緯〕

●「日本管理方針に関する声明」(1945.9.10)

「日本の軍国主義および軍国的国家主義の根絶は、戦後の第一の目的であるが、占領軍の一つの目的は自由主義的傾向を奨励することである。

 

言論、新聞、宗教および集会の自由は、占領軍の軍事的安全を維持する必要によってのみ制限される」と述べ、占領下における言論統制の意図と方向を示唆した。

 

●「言論及新聞の自由に関する覚書」(1945.9.10)

より明確な形で、言論、報道にかんする取扱いを指令した。それは「言論の自由に関する制限は絶対的必要最小限に止むる」(第二項)との一般的見解を述べるとともに、「日本政府は……真実に符合せず若くは公安を害するニュースの伝播を防止する為め必要なる命令を発することを要す」(第一項)とし、さらに「最高司令官は真実に符合せず、若くは公安を害する如き報道をなす出版物、若くは放送局に対し発行停止又は業務停止を命ずる」(第五項)として、検閲の基準を示していた。


●「日本に与うる新聞遵則」(プレス・コード)(1945.9.19)

新聞に対する制限を目的とするものではないとしながらも、同時に「自由な新聞の持つ責任とその意味を、日本の新聞に教え込むためのものである」(前文)「新聞のニュース、社説、広告はもちろんこのほか目本で印刷されるあらゆる刊行物に適用される」(前文)

 

1)ニュースは厳格に真実に符合しなければならぬ。

 

2)直接たると間接たるとを間わず、公共安寧を素すような事項を掲載してはならぬ。

 

3)連合国に関し虚偽又は破壊的批判をしてはならぬ。

 

4)連合国占領軍に対し破壊的な批判を加え、又は占領軍に対し不信若くは怨恨を招来するような事項を掲載してはならぬ。


5)連合国部隊の動静に関しては、公式に発表されない限り発表叉は論議してはならぬ。


6)ニュースの筋は、事実通りを記載し且つ完全に編集上の意見を払拭したものでなければならぬ。


7)ニュースの筋は、宣伝の線に沿うよう脚色されてはならぬ。


8)ニュースの筋は宣伝の企図を強調し若くは展開すべく針小棒大に取扱ってはならぬ。


9)ニュースの筋は重要事実又は細部を省略してこれを歪曲してはならぬ。


10)新聞編集に当ってはニュースの筋は宣伝の意図を盛上げ又は展開する為め特に或事項を不当に顕出してはならぬ。

新聞と言論の自由に関する追加措置(1945.9.27)

 前述


〔言論統制の影響〕
 検閲はきわめて巧妙で、「検閲の際、削除を命ぜられた部分は必ず削り、その他の部分を加筆訂正してはならず、しかも削除の痕跡をとどめてはならない」とされるほど徹底したものであった。

 

プレス・コードの規範性はきわめて重く、その違反に対しては発行禁止業務停止はもちろん、軍事裁判(軍法会議)により重労働が課せられた事実も伝えられている。新聞各社は、「検閲週報」を自社内に流して検閲にかからぬ用心をしたことが伝えられている。「自主規制」は、こうして、プレス・コードのもとでつちかわれたのである。

 

戦後我が国における、言論の自由抑制の、”市民社会への内在化“「自主規制」の成立に、もっとも大きな影響を与えたのは、占領軍の言論政策であったように思われる。


 このプレス・コードは内容上、二つに大別できよう。

 一つは、言論・報道の真実性および宣伝(政治的意図)の排除に重点を置くものであり、他は公安の維持および連合国と占領軍に関する言論・報道の規制に重点を置くものである。

 

 後者は直接に、占領軍の占領行動にかかわるものであり、形式的には占領の終了とともに廃棄される性質のものであった。

 

 しかし、前者は、言論ないし報道のより内面にかかわるものであった。それは(今日「客観主義ジャーナリズム」あるいは「報道の客観主義」と呼ばれているものであるが)、その後の我が国の言論・報道の根本的性格を決定づけるものであり、その影響はより深刻であった。

 

 翌1946年7月、占領軍のイニシアティブのもとに日本新聞協会が設立されたが、その最初の事業成果たる「新聞倫理綱領」(1946年7月2日、補正1955年5月15日)は、新聞の「指導精神」としてつぎのようにうたったのである。

 

 「日本を民主的平和国家として再建するに当たり、新聞に課せられた使命はまことに重大である。これをもっともすみやかに、かつ効果的に達成するためには、新聞は高い倫理的水準を保ち、職業の権威を高め、その機能を完全に発揮しなければならない」(前文)

 

 そして、このような見地から、報道、評論の自由に対し、新聞はみずからの節制によりつぎのような限界を設けるとして、第2項において5点をあげた。

 

イ 報道の原則は事件の真相を正確忠実に伝えることである。 

 

ロ ニュースの報道には絶対に記者個人の意見をさしはさんではならない。

 

ハ ニュースの取り扱いに当たっては、それが何者かの宣伝に利用されぬよう厳に警戒せねばならない。

 

二 人に関する批評は、その人の面前において直接語りうる限度にとどむべきである。

 

ホ 故意に真実から離れようとするかたよった評論は、新聞道に反することを知るべきである。

 

この倫理綱領は、いわゆる「報道の客観主義」の立場を宣明するものであるが、その文面から歴然とわかることは、日本の新聞支配層占領軍の言論政策をそのまま受容したということである。

 

そして、このことは、占領軍による言論・報道統制を日本の新聞支配層が代位したことを意味している。彼らは、占領軍にかわって、みずから「検閲」を実行したのである。 

 

 以上みてきたように、プレス・コードは一面では、軍国主義的宣伝(政治的意図)を排除するための占領軍の検閲を実行する規準であったが、他面では権力的手段によって課せられた「自主規制」準則という性格のものにほかならなかった。

 

 なお、これを基盤として、昭和29年(1954)には「新聞販売綱領」、昭和51年(1976)には「新聞広告倫理綱領」が制定され、これらは平成12年(2000)時点においても堅持されている。ただし、新しい綱領は「品格と節度」の項で、広告表現の品格とともに販売における節度と良識をも説いている。


(参考)「新聞倫理綱領」 社団法人日本新聞協会(平成12年(2000)年6月21日制定)

21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和 な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。

 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・ 表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して 初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。

 

おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で 迅速な判断が強く求められている。

 

新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によ ってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。

 

編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読 者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自 らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。

 

・自由と責任:表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を 有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのない よう、十分に配慮しなければならない。

 

・正確と公正: 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確 かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世に おもねらず、所信を貫くべきである。

 

・独立と寛容: 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排 するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる 意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。

 

・人権の尊重: 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシー に配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つ けたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。

 

・品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、 等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要で ある。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。

 

新聞倫理綱領は昭和21年(1946)7月23日、日本新聞協会の設立に当たって制定された もので、社会・メディア状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀 にふさわしいものとして、平成12年に現在の新聞倫理綱領が制定されました。  以 上


(2)「戦後レジューム」の推進機関と監視機関


戦後教育と言論空間は、「戦後レジューム」の推進機関監視機関とも云われ、両者における日本人の「敗戦利得者」(※1)(渡部昇一氏)によって、独立回復後も国家意識のない無国籍的な国民の拡大再生産が続けられ、その影響は例年の815日の靖国神社参拝を巡る報道にも見られ、今でもGHQの検閲システムが残っているかのようである。しかし、「戦後レジューム」は、日米安保体制下で平和と繁栄した社会をもたらしたこともあり、これを肯定的に評価する国民は多い。

 

また、「マスコミは『権力の監視機関』ではなく『戦後レジュームの監視機関』」とも云われるように、言論分野では「戦後レジューム」による言語空間が残っており、特に自虐史観からの脱却を主張する者は国内外のマスコミから右翼、歴史修正主義者(※2)と指弾される。このような世相もあり国家観、歴史認識や倫理観の異なる政党が乱立し、その公約等には「外国人参政権付与・二重国籍容認」、「靖国神社問題・恒久平和調査局設置」や「夫婦別姓・人権被害救済」等の日本を更に弱体化させかねないものも含まれている。

 

これらに対応するには、最終的には「戦後レジューム」の骨幹である日本国憲法(前文、天皇条項、戦争放棄条項、国民の権利・義務条項、緊急事態条項)の改正が必要と思われ、そのためには教育分野及び言論分野における啓蒙活動を通じて憲法改正への世論形成が不可欠であろう。

 

しかし、この動きを歴史修正主義(※2)として反対する勢力が国内外に存在し、特に中国・韓国は、軍国主義の復活とかヤルタ・ポツダム体制を覆すとして日本の新しい歴史認識や靖国神社参拝に異常なこだわりを見せている。


 ※1「敗戦利得者」

MAG2NEWS『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』2020.11.12「日本は中国のもの? 祖国を中共に売る『敗戦利得者』たちの正体」で、日本が中国から “ 目に見えぬ侵略 ” をされる4つの土壌として次の4つのことをして記している。(要約)

 

① 共産主義

 戦前の日本では「治安維持法」という法律を制定しなければならないほど明確に「共産主義の脅威」というものがありました。

 

 そして、戦後になっても、様々な事情から共産主義シンパや隠れマルクスレーニン主義者たちはいわゆる「敗戦利得者」として、戦後から現在に至るまでしぶとく生き残り、その系譜に連なる人達が、一定の社会的影響力をもっていることは、最近の「日本学術会議」問題や、いわゆる「千人計画」の件において、図らずも明らかになったことは、皆さんもご存知だろうと思います。

 

公職追放

 昭和21年19461月よりGHQから日本政府への指令で「公職追放」が始まりました。愛国者であり、戦前、国を守ってきたリーダーたちが、日本の要職から公職追放されました。当時首相候補だった鳩山一郎ですら追放されました。

 

 政治家、公務員だけでなく、学校等の教育界やマスコミ、言論界からも保守の有力者20万人余りが追放されました。そして、代わりに入り込んだのは、共産主義者たちや反日的活動をして、戦前評価されていなかった者、加えて、思想を転向した者たちです。彼らがみな、前述のいわゆる「敗戦利得者」となりました。

 

権力を握った人間は自分を否定しない同じ思想の者を後継に選ぶ。よって、現在でも、教育界マスコミには脈々と反日的思想をもつ人脈が、「敗戦利得者」として跋扈し続けているわけです。

 

吉田茂が進めた講和条約、それはつまり、日本が独立を取り戻す、ということですが、なんと、これに反対していた国会議員たちがいました。それが当時の社会党や共産党やマスコミです。日本の再軍備や憲法改正に反対する人、日本の独立に反対する国会議員やマスメディアの人間。日本が独立したら損をするのは誰なのか?ということを冷静に考えてみて下さい。

 

③ 東京裁判

 「極東軍事裁判」は昭和21年(194653日から始まります。いわゆる「A級戦犯」7人の処刑など、この東京裁判の判決をもとにした「東京裁判史観」が戦後の日本人の思考回路と精神構造、そして、社会空間を支配しています。

 

この裁判は法的根拠のないでっち上げの裁判でしたが、「アメリカは正義で日本は悪だった」という刷り込みによる日本人の勝手な思い込みが、当時よりもむしろ日本が主権を回復した後、より一層影響力を及ぼすようになります。

 

東京裁判当時の日本は占領されていたわけですから、「判決」それ自体は受け入れざるをえません。しかし、「裁判とそれに関わる歴史観」を承服したのか否か?となると話は全く別で、到底、「受け入れて」などはなかったわけです。

 

実際、主権回復直後に、生き残ったいわゆる「戦犯」たちは、全員、正式に全国会議員によって名誉回復させている、という点を考えれば、「判決」には従ったのですが、「裁判そのもの」を受け入れてなかったことは、言うまでもないことです。

 

しかし、現在の日本人の多くはそんな客観的な「歴史的事実」すらすっかり忘れてその歴史観は、奇妙なまでに自虐的な思考に書き換えられたままです。

 

WGIP

 GHQが、戦後、日本人に行った洗脳教育であり、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」のことです。

 

GHQによる、この日本国民に打ち込まれた「楔」は当のGHQが日本から引いたあとも抜けることなく、延々と日本人の精神に残ったままです。未だに「日本は戦犯国家」だと勝手に思い込んでいる日本人が多いのではないでしょうか?

 

大東亜戦争太平洋戦争と言い換えられ、戦争の真実を語ることもできず、日本側の弁明は一切許されない。ましてや、戦勝国であるアメリカや中華民国らの批判などもってのほか。更には、第三国である朝鮮についても同様でした。

 

周到なことに、GHQは、戦前の日本の良き伝統や当時の国際情勢を鋭く分析した日本の優良書物7,000冊を秘密裏に焚書しています。当然、この恐るべき「焚書」に協力した恥ずべき日本の知識人たちも多数いるわけですが、その協力者の詳細な名簿などは残されていません。

 

この三位一体に巣食う「敗戦利得者」たちが日本人の美しい歴史を消し、戦犯国家としての贖罪意識を今も与え続けています。

 

彼ら「敗戦利得者」は基本的に「日本は邪悪な国家なのだ」という考えですから、中国の側からすれば、これほど御しやすい相手は他にいません。これが、中国からの歴史侵略を易易と受け入れてしまう土壌となっているのです。 

 

GHQはとっくの昔にこの島を去り、我が国は「主権国家」として、独立を回復したはずなのに、「日本が悪い国なのだ」と常に内外からオルグされ、心からそれが正しい歴史認識なのだ、と考えてしまったり、挙げ句の果てには、なぜか自らの母国を貶めるような言動で、「反日」でいることが「利得」となるような人たちがこの日本国にはまだまだたくさん居るのです。

 

※2「歴史修正主義」(引用:Wikipedia)

 歴史学において歴史修正主義( Historical revisionism)とは、歴史の再定義や再解釈の言説を指す用語である。一般に否定的・批判的な意味合いを込めて使用されることが多く、特に第二次世界大戦に関わる戦争犯罪・戦争責任に関わる議論で、それを否定または相対化する言説を指して歴史修正主義という用語が使用される。

 

 歴史学の成果を無視した歴史の「修正」の問題は20世紀後半以降、とりわけナチス・ドイツによって行われたユダヤ人虐殺の否定(ホロコースト否定)や矮小化、第二次世界大戦の戦争責任論に関連している。

 

 ホロコースト否定論者の中には自ら「歴史修正主義者」を名乗って宣伝活動を行う者もいるが、欧米においてはこの種の、最初から事実と異なる歴史像を広めることを意図して史実を否定する言説は「歴史修正主義」ではなく「否定論(denial)」と呼ぶようになっている。 

 

 このナチズムに関わる「歴史修正主義」の論理・心性が日本の戦争責任論における否定論と類似すると見られることから、日本近現代史においては戦時中の日本軍の行為、いわゆる南京事件(南京大虐殺)の否定従軍慰安婦を自発的な売春婦と見なす観点を指して「歴史修正主義」という用語が用いられる。 


(3)日本は愚者の楽園


佐藤元総理の密使として沖縄返還交渉に当たった若泉敬氏は、同氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(以下、「他策」)の中で日本の現状を「愚者の楽園」と評し、そこからの再起復興には、「自らの国の安全は第一義的には自らの手で、自らの犠牲で守りぬくという意識」をもつべし、その前提には「自国の国家目的・理念の自覚と忠誠、自主独立の精神」がなければならないとの信念をもっていた。

 

そして、同氏は、新渡戸氏が『武士道』で訴えた「衣食足って礼節を知り、義・勇・仁・誠・忠・名誉・克己」といった普遍的な徳目に裏打ちされた「再独立の完成」「自由自尊の顕現」を、今後の日本と日本人に期待するとしていた。また、グローバルな根源的危機(戦争)に対処する力は「各民族固有の文化の中にある」とし、国防問題でも皇室を守ることを中心として日本人が団結しなければ実効性を失うとしている。 

 

この「他策」公刊以降、歴代政権は「密約」の存在を否定し続けてきた。民主党政権(平成219月~平成2412月)20092012への政権交代により密約の再検証が行われ、「密約」原本の存在が判明したこともあり、平成2220103月、有識者委員会は、「必ずしも密約とは言えない」と結論付けながら、この交渉に人生を捧げた密使「若泉氏」の存在と「他策」の正確性を認め、報告書の末尾では「若泉―キッシンジャールートが開かれたことは大いに評価できる。」としていた。


(4)マスメディアに残る戦後レジューム


プレス・コード等とともに出されたGHQ指令「新聞と言論の自由に関する追加措置」(前述)(昭和20年9月27日1945「日本よりGHQの正義を優先し、日本の不名誉と不利益、国家の解体と消滅を志向するものでもよく、換言すれば、国家に対する忠誠義務から完全に解放された」(江藤淳氏)というものであり、また、公職追放により保守層の大半が追放され「左派」勢力や共産主義のシンパが大幅に伸長したため、啓蒙を果たすべき言論界は、永らく“ 従軍 ” 慰安婦や南京大虐殺の偏向報道等の日本を貶める論説・報道が主流を占めてきた。 

 

 GHQは宣伝工作のため、占領期間中、NHK・朝日新聞・岩波書店の宣伝効果を重視し、検閲係官等を派遣していたともいわれている。

 

 特に、朝日新聞の報道では、「中国の旅」(本多勝一:朝日新聞社)の連載、慰安婦問題のでっち上げ、靖国参拝の外交問題化、南京大虐殺の肯定的な報道があり、その他の歴史認識問題においても自虐史観的な立場での報道がなされてきたといわれている。その影響は国内だけに止まらず国外にまで広がっている。


5 戦後レジュームからの脱却


(1)安倍元総理の政策

(2)自虐史観からの脱却

(3)教育分野における改革 

(4)言論空間の改革(安全保障論議)


(1)安倍元総理の政策


平成18200691日、安倍晋三氏は正式に総裁選出馬を表明した。同時に「美しい国、日本」(※)と題した政策集を発表し、平成18200699日、安倍、麻生太郎、谷垣禎一各氏ら3候補者の所信発表演説会が開かれた。安倍氏は「未来の子供たちが日本という国に生まれたことを誇りに思える、美しい国、日本をつくっていくために、全力を傾けることをお誓い申し上げます」と述べた。

 

同年929日、安倍氏は所信表明演説で「日本を、世界の人々が憧れと尊敬を抱き、子供たちの世代が自信と誇りを持てる『美しい国、日本』とする」と述べた。


  平成192007126日、安倍氏は施政方針演説で「我が国の理念、目指すべき方向、日本らしさについて、我が国の叡智を集め、日本のみでなく世界中に分かりやすく理解されるよう、戦略的に内外に発信する新たなプロジェクトを立ち上げる」と述べた。当該事業は「『美しい国づくり』プロジェクト」と名付けられた。

 

 平成19年4月3日、「『美しい国づくり』プロジェクト」がスタートし、安倍総理が総裁選時に掲げたスローガン「美しい国、日本」は「世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダシップのある国」と定義された。そして、「『美しい国、日本』は、私たち一人ひとりの中にあります。だからこそ、この『美しい国、日本』を、私たち一人ひとりが創り、そして誇りをもって伝えていきたいと考えています」と宣言した。

 

 平成19年20077月の参議院選挙に際しての全国遊説で安倍氏は「美しい国」の理念を訴えるが、一部の自民党候補者からは「意味がよく分からない」「絵に描いたような『美しい国日本」などの批判を受けた。

 

 総理退陣後の平成19年200712月7日、安倍氏は自身の政権で「美しい国づくり」を振り返り「美しい国づくりは道半ばだが、礎をつくることは出来たと思う。一議員として初心に戻り、新しい国造りに全力を尽くしてゆきたい」と発言した。

 

 平成24年(2012)12月26日、第2次安倍内閣が成立し、安倍氏は再び首相になった。よく平成25年1月21日、安倍氏は『美しい国へ』の ” 完成版 ” と称する『新しい国へ美しい国へ』を文藝春秋から上梓した。

 

 この『美しい国』に対しては、各方面から「意味が良く分からない」等の非難が出されたが、私は、戦後レジュームで構築された自虐史観から立直り、「日本人よ自信と誇りをもて」と言う安倍氏の激励のことばであったのではないかと思っている。

 

 平成24年(2012)に第2次安倍政権以降、外交面で「自由で開かれたインド太平洋構想」を提唱されて日本の国際的評価を高め、いわゆる戦後70年談話において、これまでの日本政府の歴史認識とされていた河野談話村山談話に代わる新しい考えを表明し、現代及び将来の子孫に過去の負の遺産を背負わせ無いような自虐史観からの脱却を計られたと思う。

 

 また、言論分野でも、戦後レジュームでの主要な部分である安全保障分野でも、平和安全法整備法の制定や集団的自衛権の限定的容認等を推進されてきた。これ等を通じて、周辺諸国の軍事力増強等驚異の高まりもあり、日本人の防衛意識は大きく向上してきたのではないだろうか。

 

※美しい国

 美しい国は、安倍晋三氏が2006年に掲げた国家像。国土交通省が平成15年(2003)7月に発表した「美しい国づくり政策大綱」が構想のもととされる。安倍氏は内閣総理大臣就任後、平成19年(2007)に内閣官房の事業として「『美しい国づくり』プロジェクト」を立ち上げた。

 

 平成18年(2006)5月24日、安倍氏は講演で、自民党総裁選出馬への意欲を示し、同年7月21日、『美しい国へ』を新書版で上梓した。

 

その中で、安倍氏は、

「祖父は、幼いころから私の目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか」

と述べ、岸信介の業績をたたえた。

 

 靖国神社にA級戦犯が合祀されていることについて「国内法で、彼らを犯罪者としては扱わない、と国民の総意で決めたからである」と書き記し、戦争責任者の復権を訴えた。


(2)自虐史観からの脱却


ア 国旗国歌法の制定(平成118月)1999

 平成元年(1989)、文部省は学習指導要領において、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導するものとする」としてこれを義務付けた。これは国際化の進展に伴い、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、生徒が将来、国際社会において尊敬され信頼される日本人として成長していくためには、国旗及び国家に対して一層正しい認識を持ち、これを尊重する態度を育てることは重要なこととの考えによるものであった。

 

しかし、その後の教育現場においては、こうした指導の強制は憲法19条に定める「思想・良心の自由」に反する、あるいは「戦前の皇民化教育」だとして反対運動が起こり、教職員と学習指導要領との板挟みになって校長が自殺するという事例も発生した。

 

こうした社会問題化の動きを契機として平成11(1999)8「国旗及び国歌に関する法律」が制定され、国旗は既に国民の間に定着していた「日章旗」とすることが、国歌は「君が代」とすることが定められた。同法ではその義務化までは定められていないという不満は残るものの、これまで慣習であったものを成文法として明確に位置付けたものでその意義は大きいといえる。

 

イ 近隣諸国条項の見直し(平成254月)(2013)

近隣諸国条項とは、日本国の教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という規定のことで、教科用図書検定規則(文部省令)に基づいて定められている義務教育諸学校教科用図書検定基準(文部省告示)と高等学校教科用図書検定基準(文部省告示)にある。いずれも「第3章 各教科固有の条件」の中に規定され、義務教育諸学校は[社会科]の中に、高等学校は[地理歴史科] の中に定められたものである。

 

この規定制定の経緯は、昭和5719826月、教科用図書検定について、「中国・華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」というメディアの誤報が発端となり、中華人民共和国・大韓民国が抗議して外交問題となり、同年8月に、日本政府は、『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図り、その談話では、その後の教科書検定に際して、文部省におかれている教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改めるとされていた。

 

 文部省内においては、同年11月に教科用図書検定調査審議会から答申が出され、文部大臣が、規定を新しく追加する教科用図書検定基準の改正を行った。

 

運用に当たって、中国や韓国関連の歴史記述については、今後は検定意見を付けないことになった。中国関係では「侵略」「南京事件」、韓国関係では「三・一独立運動」「神社強制参拝」「日本語強制」「創氏改名」などである。その中に「強制連行」の項目があり、「朝鮮人が強制的に連行された旨の表現については、検定意見を付さない」とされることになった。

 

平成252013424日、自由民主党教育再生実行本部特別部会(※)は「改正教育基本法には『他国に敬意を払う』という趣旨の記述があり、本条項はその役割を終えた」として見直しを行なう事を決めた。

 

※特別部会「議論の中間まとめ」(平成25625日)2013

「現状の認識」として、「教育基本法」が改正され、新しい「学習指導要領」が定められてから、初めての教科書検定が小・中・高等学校で行われたが、多くの教科書に、いまだに自虐史観に立つなど、問題となる記述が存在する。

 

この点、小中学校の教科書において、伝統文化に関する題材が取り上げられるなど、教科書改善の成果も見られるが、とくに高等学校の歴史教育については、いまだ自虐史観に強くとらわれるなど教育基本法や学習指導要領の趣旨に沿っているか疑問を感じるものがある。

 

ウ 河野内閣官房長談話の検証(平成264月)(2014)

河野内閣官房長官談話とは、平成519938月に河野官房長官が発表した談話であり、慰安婦に関して軍の関与を認め「おわびと反省」を表明したが、これにより「日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた」という理解が広まった。

 

河野談話を受けて、平成619948月に、村山総理が「いわゆる従軍慰安婦問題」に関して「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表し、平和友好交流計画の実施を表明し、平成719957月には、女性のためのアジア平和国民基金が発足し、元「慰安婦」に対する償い事業を行っている。その後、歴代首相は、韓国に対し謝罪を行っている。

 

河野談話については、平成2620142月の衆議院予算委員会において、石原信雄元官房副長官から、河野談話によりいったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が生かされておらず非常に残念である旨の証言があった。

 

同証言を受け、国会での質疑において、菅官房長官は、河野談話の作成過程について、実態を把握し、それを然るべき形で明らかにすべきと考えていると答弁したところである。

 

この答弁に基づき、但木敬一弁護士(元検事総長)を座長とする検討チームはが設置され、平成26年(20144月~6月の間、4回にわたり会合を開き、作成過程等の検討を行った。検証結果の概要は、次の通りとされている。

 

・談話発表前日まで日韓両政府が表現内容を調整。最終的に当時の宮沢喜一首相、金泳三韓国大統領が了解。

 

・日本側は従軍慰安婦の「強制連行」は確認できないとの認識で対応。

 

・慰安婦募集に関する軍の関与を巡る表現は軍の「意向」とした原案が軍の「指示」との韓国提案を受けて「要望」に修正

 

・元慰安婦へのおわびの文言に、韓国側の要望で「反省の気持ち」を追加。

 

・元慰安婦への聞き取り調査は裏付け調査などは実施せず。談話の原案は聞き取り調査終了前に作成。

 

平成192007、アメリカ合衆国下院において、慰安婦問題に関する対日非難決議案を提出した民主党議員のマイク・ホンダは、強制連行の根拠のひとつとして『官憲等が直接これに加担したこともあったこと』と述べており、「河野談話で日本政府が認めた」こととしている。 

 

河野談話に関する櫻井周衆議院議員の質問主意書と答弁書(要約)

①「平成302月の予算委員会で河野太郎外務大臣の河野談話に対する答弁は、安倍総理の戦後七十年談話と日韓合意にあるとおりとしていることに対する質問」、

 

②「河野の談話は、結論として、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であると明確に当時の軍の関与を明示しているが、今後見直すのか」に対して、安倍内閣は平成30年(20181218日の答弁書で、

 

①について、「政府の基本的立場は、平成5年(1993)8月4日の内閣官房長官談話を継承しているというものであり、この立場は、河野外務大臣においても同様である。」、

 

②について「政府としては、平成5年8月4日の内閣官房長官談話を見直すことは考えていない。」と回答している。

 

エ 戦後50年村山談話(平成78月)1995

村山内閣総理大臣談話とは、平成71995815日の戦後50周年記念式典に際し、村山総理が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題して閣議決定に基づき発表した声明をいう。以後の内閣にも引き継がれ、日本政府の公式の歴史的見解としてしばしば取り上げられる。 

談話は主に、今日の日本の平和と繁栄を築き上げた国民の努力に敬意を表し、諸国民の支援と協力に感謝する段、平和友好交流事業と戦後処理問題への対応の推進を期する段、国策を誤り戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを反省し、謝罪を表明する段、国際協調を促進し、核兵器の究極の廃絶と核不拡散体制の強化を目指す段からなる。

 

特に、「現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。」としたことにおいて、官憲や軍の関与を認めたとする先の河野談話に関連し、慰安婦問題への対応について論争となっている。 

 

また、韓国や中国への謝罪問題に対しては、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」としている。

 

オ 安倍総理の戦後70年談話(平成278月)

安倍総理談話は、戦後70年を迎えるにあたって、平成272015814日に安倍総理が閣議決定に基づき発表した声明で、安倍首相はこの談話の作成について、「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作っていくことを心掛けた」と述べている。

 

冒頭、歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないとの言葉から始まり、西洋諸国の植民地支配に言及し、その危機感を原動力として日本は近代化し、アジアで初の立憲国家となり、日露戦争における勝利がアジアやアフリカの人々を勇気づけたとの話から始まる。

 

その後、日本が先の大戦に突入したことについて、欧米によるブロック経済が日本を苦しめたことに言及し、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みた結果であり、こうした経過の中で日本が進むべき針路を誤り戦争への道を進んで行ったとした。

 

国内外で斃れた全ての人々へ哀悼の意を表明し、戦火を交えた国と戦場となった地域での犠牲や戦場の陰で深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた事も忘れてはならないと言及した。

 

先の大戦への反省として「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実」について言及。「事変、侵略、戦争」と先に例を挙げた上で、「いかなる武力の威嚇や行使」も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない、「植民地支配」から永遠に訣別しなければならないとし、先の大戦における行為について「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し戦後一貫してアジアの平和と繁栄のために力を尽くしてきた歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないとした。

 

戦後に引揚者が日本再建の原動力になったことや、中国残留日本人が帰国したこと、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア各軍の捕虜が日本を訪れ、互いの戦死者を慰霊しているということを心に留め置かなければならないとした。

 

寛容な心によって戦後に日本が国際社会へ復帰できたとして、和解のために尽くしたすべての国と人々へ感謝の意を表明した。

 

これからの日本人については、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としつつ、過去の歴史に真正面から向き合う必要はあるとした。

 

最後に、これから日本は「積極的平和主義」をとり、世界の平和と繁栄のために貢献していくとしている。 

 

村山談話と安倍談話の違いについて、しんぶん赤旗(平成27年2015)816())は、「侵略を日本の行為と言わず」、「植民地支配の主体がだれか、語らず」、「慰安婦問題は談話で一言も触れず」、「お詫びについて首相自身の意思表明なし」、「積極的平和主義は戦争法案推進と一体」と論評している。


(3)教育分野における改革


GHQの教育改革

GHQによる占領下、識者によれば、教育改革が3段階にわたって行われたとしておいる。


〔第1段階〕

1段階では、GHQから「日本教育制度の管理」、「教員及び教育関係者の調査、除外、認可」、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止」、「修身、日本歴史及び地理の停止」といういわゆる「4大教育指令」(昭和20194510月~)が発出され、戦時教育体制から平常体制への切り替えと軍国主義的および極端な国家主義的な思想および教育の払拭を主眼とする戦後処理の諸措置が、厳しい占領下において急速かつ精力的に行なわれてきた。

 

一方やや断片的ではあったが、新しい教育への前進の努力もそれなりに払われていたが、何といっても戦後の教育改革を積極的・包括的に方向づけたものは昭和21年(1946)3月来日した米国教育使節団の勧告である。

 

GHQは、使節団の研究問題として、「日本における民主主義教育」等の四項目を示した。その後、米国使節団から「第1次教育使節団報告書」(昭和21(1946)4月)が出され、その報告書は「日本の教育の目的および内容」等の6章から成り、全体として日本の過去の教育の問題点を指摘しつつこれに代わるべき民主的な教育の理念、教育方法、教育制度を明らかにしている。

 

報告の中で、民主的な教育の基本は「個人の価値と尊厳」を認めることであり、教育制度は各人の能力と適性に応じて教育の機会を与えるよう組織すべきであって、教育の内容・方法および教科書の画一化をさけ、教育における教師の自由を認めるべきことを述べている。これを受けて文部省「新教育指針」(昭和215月)1946が策定された。


〔第2段階〕 

 第2段階として、内閣「教育刷新委員会(教育刷新審議会)」(昭和21(1946)8月)が設立され、同年9月の第1回総会の席上、吉田総理代理の幣原国務大臣は今回の敗戦を招いた原因はせんじ詰めれば教育の誤りにあったと指摘し、明治維新に倍する悪条件下で第2の維新を遂行すべき今日、その根本は教育の刷新であり、本委員会を内閣に設けたのは国政の優先的努力を教育問題に集結するためであると力説した。

 

 委員会は同年12月27日、「教育の理念および教育基本法に関すること」等の4つの事項を第1回に建議し、以後26年11月「中央教育審議会について」の建議を最終にその任務を終了するまで、特別委員会を設けること21、総会を開催すること142回、建議事項は35件に及んだ。これらの建議は、種々の事情による例外は別としてすべて戦後教育改革の基本となる法令に具体化され新教育の基盤を築いたのである。

 
〔第3段階〕

3段階として、米教育使節団の報告書とともに、戦後教育の「指導理念」とされてきたのが教育基本法であり、昭和2219473月に公布された教育基本法は、「個人の尊厳」などの現行憲法の理念を謳った前文と「教育の目的」などを定めた11の条文からなるが、この基本法の制定は戦後教育の大枠を固めた第3段階の出来事と言えよう。

 

 戦後の民主的教育体制の確立および教育改革の実現にとって最も基本的な意義をもつものは「日本国憲法」の制定であり、これに続く「教育基本法」の制定であった。

 

イ 旧教育基本法の問題点

●「伝統の尊重」、「宗教的情操の涵養」、「愛国心」の欠如

旧教育基本法は、わが国の教育の専門家による教育刷新委員会が原案をつくったが、帝国議会に上程される直前に、GHQのCIE(民間情報教育局)の指示で、法案の前文から「伝統を尊重し」という文言が削除された。また「宗教的情操の涵養」という部分も削除された。 出来上がった旧教育基本法は、憲法順守が謳われ、GHQ製の押しつけ憲法の「精神」にのっとった教育を行うものだった。

 

「人格の完成」「機会均等」などの教育理念が打ち出され、「個人の尊厳」や「真理と平和の希求」(※)が盛られる一方、愛国心、公共心、伝統の尊重などが欠け落ち、自国の歴史や伝統を重んじ、国の発展をめざすということが抜けていた。

 

「民主」「平和」「個人」などの用語があるのに対し、「日本人」「民族」「国民」「歴史」「伝統」などの用語自体が使われていなかった。わが国の青少年をどういう「日本国民」に育てるか、という目標像がなかった。むしろ、日本人が日本民族としての自覚を持てず、歴史と伝統を受け継げないようにする内容となっていた。

 

「宗教教育」についても、宗教的な情操教育を大切にするという姿勢はなく、憲法第20条3項とともに、公立学校での宗教教育を制限する狙いがあった。旧教育基本法全体が、日本人に自国の歴史と伝統を伝えないような内容となっていたが、その一環として、日本人の心の中核にある宗教的情操を弱め、次世代に伝わらないようにする意図があったと見られる。

 

「真理と平和の希求」(※)

 この真理についての解釈は、基本法制定時からかなり議論されてきたようであるが、深谷潤氏「教育基本法における『真理』の問題(1946年教育刷新委員会議事録を中心に)」(*)の結論で次のように記述している。  (*)平安女学院大学短期大学部研究論文

 

 以上から、教育基本法における教育理念において、人格の完成を優先し、その基準とも考えられていた真理概念がある意味曖昧なままに置かれてきたことが、これまでの分析によって明らかになった。

 

 教育基本法にある「真理」は、戦後の日本国憲法や教育基本法の成立過程から想定して、西洋教育思想の影響を無視して成立したとは考えにくい。何故なら、先の教育刷新委員会のメンバーにはカント哲学研究者の天野貞祐やフッサールやヘーゲルなど西洋哲学研究者の務台理作が加わっていたからである。それにも関わらず、教育基本法における教育理念を支える思想的基盤は極めてあいまいである、と言える。

 

 西洋の精神文化にはキリスト教やギリシャ哲学の長い伝統のもとに練り上げられた概念がある。しかし、日本語に翻訳された「真理」は、教育基本法の成立過程において必ずしもその精神文化的背景が吟味されたとは言えない。仮にキリスト教・ギリシャ哲学に替わるものが豊かにその概念を支えているとしても、少なくとも基本法において、翻訳された「真理」の概念は、教育の根本的原理が不明確のままにされているのである。

 

 田中耕太郎が当初掲げた民主主義と平和主義の理念としての「真理」は、第一特別委員会の議論の中で骨抜きにされていった。当時のメンバーは、真理が民主主義や平和の実現の理論として重要なことは、表面的にはわかっていたが、理念のもつ意義を哲学的に把握していたようには思われない。

 

 理念が、現実世界から超越した次元で語られること、さらに私たちの諸活動に具体的な指針を与える根源的価値であること、これら二つの性格が分離すると、理念は「平滑」で「抽象的」なスローガンになりかねない。

 

 教育基本法の中でかろうじて平和と人格という言葉と合わせて、真理は残されることになったのだが、田中の主張するように、人格や平和の前提として、またそれらに優先するものとしての真理の意義は、結局当時の委員会のメンバーには理解されなかったと言える。

 

 当時の委員会の雰囲気は、次の発言によってよく理解される。

「真理の探究」ももちろん「結構」だが、「立派な社会人の養成」こそが「最も根本」になるべきだ。(戸田貞三 第2階会合1946(1946)925日)

 

 理念よりも実際を優先するこの「根本」問題の取り違えこそが、今日の教育理念の混迷を招くもとにあると言える。真理が人格の完成や平和を実現する教育理念として理解されるには、どのような認識が必要とされるのであろうか。これこそが、田中自身が本来十分に説明すべき点であった。

 

 真理が単なる抽象的概念に留まらず、教育の原理としてその役割を担うための真理理解が現在改めて必要なのである。そのためには、今後さらに真理と人格の関係が哲学的に構造化され、教育の理念として定立されなければならない。

 

● 政治利用された「不当な支配に服することなく」の規定

また、教育は「不当な支配に服することなく、」という文言が入っていた。これは、国家による教育が、軍国主義者や超国家主義者によって支配されないようにするというGHQの意思の表現である。この条文は、日教組が教育現場への国の関与を排除するための根拠としてきた。

学校行事における日の丸掲揚、君が代斉唱等に反対するために利用されてきた。

 

ウ 教育改革論議の推移

教育基本法の欠陥を補うため過去にも「臨時教育審議会」(中曽根内閣)(昭和59年~昭和62年)19841987において、それまでの文部省対日教組という対立的枠組みでなく、政府全体として長期的視点に立った教育問題についての議論等を経て、「教育改革国民会議」(小渕・森内閣)(平成12年~13年)(2000~2001)において「教育を変える17の提案・15の具体的施策」がなされるとともに教育基本法の見直しと奉仕活動の実施などが検討され、教育振興基本計画策定の必要性の提言がなされた。

 

これらを受け、中央教育審議会(平成1311月~153月)20012003が開かれ、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興計画の在り方について」が答申された。

 

エ 自公連立政権による立案

自公連立政権による立案・審議の過程には、大いに問題があった。平成1820064月、教育基本法の改正が国会で審議されようとする段階に入る前、自公連立与党は、同法の改正に関し、3年間にわたって、秘密会議で協議していた。議事録も資料も公開しなかった。

 

平成172005、小泉政権のもとで行われた9・11衆議院選挙では、与党が歴史的な大勝をしたが、これは自民党が公明党と一体化を深めた結果である。選挙後は、ますます創価学会の意向に沿うことなしに、自民党は、政権維持・政策実現ができなくなっている。教育基本法の改正は、こうした状態において、国会で審議されたのである。

 

オ 第一次安倍内閣による教育改革(平成1812月)2006

第1次安倍内閣により教育基本法等が改正されて「伝統の尊重」や「愛国心の涵養」等が明記されたことにより学習指導要領・教科書検定基準等の改正が行われ、歴史教科書の改善や道徳の教科化が図られているが、中高生の偏向教科書、中国・韓国贖罪旅行等、今なお教育現場では「戦後レジューム」の影響から抜け切れていない。

 

 この改正は、教育をめぐる状況が大きく変化する中で道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和と発展への寄与などについて、今後教育において一層重視することが求められるとして実施されたものである。

 

そこで、まず「公共の精神を尊ぶ」ことが明記され、「公」を忘れ「私」に偏りすぎた戦後教育の理念を修正するとともに、「豊かな情操と道徳心を培うこと」、「自国の伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国の郷土を愛する態度」を養うことが盛り込まれた。

 

更に、「家庭教育」の条文が新たに設けられ、父母等の子供に対するしつけ教育等の責任、「宗教教育」では「宗教に関する一般的な教養」という文言も加筆され、一般的教養として宗教的情操の涵養も可能となったといえる。

 

こうして、法律上は大きな前進をみたといえるが、それを束ねる理念というべき道徳心について、「道徳心を培う」と明記されながらも教育現場においては、学習指導要領の規定により、道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行うこととされ単一の教科とはならなかった。

 

これは「道徳」とは国から押し付けられるものではなく、本来、誰からも評価されない場合であっても当然のこととして行わなければならないもの、即ち、「価値観の押しつけ」、「心の問題は数値目標になじまない」との理由で見送られてしまった。

 

この教科とされなかったことで、国が明確な具体的道徳的価値観を示すことが重要であるにもかかわらず、教科書もなく文部省が作成した「心のノート」や各自治体、教科書会社が作成した「副読本」等が教材(資料)として使用され、教え方も学校単位で抽象的、おざなりとなり、これまた今日に至ってしまっている。

 

カ 福田内閣による対応(平成1810月)2006

平成18200610月、第1次安倍内閣の下に設置された「教育再生会議」は、「徳育を教科とし、感動を与える教科書を作る」ことを提言した。

 

そして福田総理に報告された最終報告では、「第1次から第3次報告までに盛り込まれた項目については全て具体的に実行されてこそ始めて意味を持つ」とし、「直ちに実施に取りかかるべき事項」として「徳育の充実(「新たな枠組み」による教科化、多様な教科書・教材)」が提言されたが、安倍総理の退陣で求心力を失い、福田内閣では実現されていない。

 

キ 第二次安倍政権による教育改革(平成25年)2013

2次安倍内閣の発足に伴い、平成2520131月、事実上、教育再生会議の復活といえる「教育再生実行会議」が設置され、いじめ問題や道徳の教科化等が検討されることとなった。この会議の開催にあたって安倍総理は「第1次安倍内閣においては約60年ぶりに教育基本法を改正し、教育の目標として『豊かな情操と道徳心を培うこと』、『伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養うこと』などを明確に規定した。

 

しかしながら、その後の教育現場は残念ながら改正教育基本法の基本理念が実現したとは言えない状況にある。いじめ・体罰に起因して子供の尊い命が絶たれるなどの痛ましい事案は断じて繰り返してはならない・・・」と述べている。

 

教育再生実行会議では、いじめ対策の他、教育委員会制度の見直し、教科書検定制度の見直し等々諸課題について、現在、幅広い検討が進められているが、いじめ問題等への対応については、既に提言が報告されている。

 

同報告には「直面する具体的な課題について集中的かつ迅速な審議をし、今後も教育再生を実行するための提言を逐次行っていきます。提言を踏まえ政府が一丸となり社会総がかりで教育再生を実行していくことを望みます」とした上で、「心と体の調和のとれた人間の育成に社会全体で取り組む。道徳を新たな枠組みによって教科化し、人間性に深く迫る教育を行う。」こと等を提言している。

 

正にこの速やかな実行が強く望まれるところである。そうでないと愛国心はおろか、いじめ、不登校、対教師暴力、学力低下、援助交際、少年少女による凶悪犯罪等、今日の社会事象はもはや猶予を許さない状況になっており、一日も早い教育の改革が必要かつ不可欠といえる故である。

 

ク 教育勅語の活用

既に廃止された戦前の教育の指導理念であった「教育勅語」は確かに根本理念に主権在君、天皇中心の国体思想が据えられており、その運用も軍事教育、軍国主義推進の国民統合の為に利用されたことから、そのままでは今日の民主主義社会にはなじまない。

 

しかし、そこに謳われている孝行、友愛、夫婦の和、朋友の信、博愛、修学習業等々「12の徳目自身」は、日本の長い歴史の中で「より良く生きる」ために編み出された普遍性を持つものであり、今日の社会においても立派に目標として位置づけられるものといえる。 

 

道徳教育において徳目主義はその徳目自体の抽象性、概念性から児童・生徒の行動力を上から規制しがちとの批判もあるが、目標が明確であり簡素な形で児童・生徒を指導できるメリットがある。是非、この徳目の活用が望まれるところである。


(4)言論空間の改革(安全保障論議)


ア 憲法改正

〇 現行憲法の現状

現行憲法は、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」という基本原理を掲げ、民主主義体制を維持発展させてきた。この憲法が果たしてきた歴史的役割は高く評価されなければならない。

 

しかし同時に、現行憲法は日本に主権がない状況下で作られたという成り立ちは免れることはできず、制定から半世紀以上が過ぎ、この間、冷戦構造が崩壊、テロ活動が活発化し、国内では政治の流動化が進むなど内外情勢が大きく変化した。

 

また、経済繁栄とそれに伴うひずみ、高齢化社会の到来、人権概念の広がり、価値観の多様化などがみられる。例えば、今日広く世の中で議論されているテーマを採ってみても、9条の問題のみならず、環境権、プライバシー権といった新しい基本的人権、個人主義偏重の是正、衆・参二院制の是非、首相公選制の導入、緊急事態への対応規定、道州制の導入、憲法改正手続きの基準緩和等々、様々な問題が採り上げられている。

 

こうした問題の是非については、慎重な検討が必要なことはいうまでもないが、その上で憲法の規範と現実のニーズにズレがあるものについては改正、加筆等の見直しが必要であり、いたずらに放置しておくことは許されない状況にあるといえる。

 

9条についていえば、一見すると「戦力の保持」や「交戦権」の一切を禁じているように見える同条の文言の下では、自衛隊のような実力組織の保持は許されないのではないかと受け取られかねない。

 

しかし、政府は一貫して自衛権の存在は否定しておらず、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえ、外国からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされているような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲内で実力行使することまで禁じていないという解釈をとっている。

 

国の安全保障の基本となる自衛隊の存在について、国内で解釈が分かれ不毛な議論が繰り返されてきたが、少なくとも国の存亡にかかわる基本的な問題に関する憲法の条文が解釈に混乱をきたすような表現にあること自体、決して好ましいことではない。

 

そしてこのことが前文において日本の安全と生存をもっぱら「平和を愛する諸国民の公正と信義」にのみ依存するという理想主義を強く打ち出していることとも重なり、防衛基盤の脆弱さを招き、我が国においてなかなか防衛意識の高揚が進まない最大の要因になっているといえる。こうした状態は放置すべきではない。

 

同時に政府は、自衛のために行う実力の行使は、憲法9条の下で例外的に行われるものであり、自衛権発動のためには、

①我が国に対する急迫不正な侵害があること、

②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、

③必要最小限の実力行使にとどまること、

という三要件が必要であるとしている。

 

ところで集団的自衛権について、政府は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利」と定義し、我が国も国際法上主権国家である以上同権利を当然有しているが、「憲法9条の下で許されている自衛権の行使はわが国を防衛するために必要最小限度の範囲内にとどまるべきと解しており集団的自衛権の行使はその範囲を超えるものであり許されない」(第1の要件を満たしていない。)としている。

 

更に、集団的自衛権を上述のように定義しつつ、仮に、自らは直接武力行使をしていなくても、他の者が行う武力行使への関与の密接性等から我が国が武力行使をしたと評価を受ける場合があり得る。

 

例えば、米軍に対する補給、輸送、修理及び整備、医療、通信等の支援措置は、それ自体武力の行使ではないが、戦闘地域との距離的、時間的要素を考慮し、戦闘行動に組み込まれるような形のもの、即ち典型的には、第一線への弾薬等の輸送支援、戦闘地域での医療支援活動などは、米軍の武力行使と一体化され、集団的自衛権の行使にあたるという、いわゆる「武力行使一体化論」を採り、極めて厳格に解してきている。

 

〇 日本国憲法の改正手続きに関する法律の制定(平成195月)2007

憲法改正に係る国民投票については、憲法に「国民に提案してその承認を得なければならない」旨規定されているものの、長年にわたり、その具体的実施手順が定めてこられなかった。しかし、平成19年(20075月、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」が制定され(施行は平成225月)、同年8月衆・参両院に憲法審査会が設置された。

 

その後、委員会規則の制定、委員の選任を経て、平成2311月になってようやく両院での活動が始まり、爾来、憲法逐条に亘って各党の意見陳述等議論が進められている。

 

憲法の改正は、国会の発議を受けて国民が承認し、決定することであり、憲法を変えるということは国民一人一人が日本の歴史、文化、伝統を改めて見直し、それを踏まえてこれからの日本はどうあるべきか、将来に向かっていかに進んでいくかを考えることである。

 

このため、国会の議論を促進させるとともに、併せて広く国民的議論を誘発、醸成させていくことが極めて重要といえる。

 

イ 安全保障体制の改革

〇 有事法制の整備(平成15年~16年)(2003~2004)

有事法制は、朝鮮有事への対応、ソ連軍侵攻の懸念、周辺事態の情勢の変化に対応すべく検討がなされ、平成132001年)の米国の同時多発テロを契機に整備に至った。

 

有事法制は、「自衛隊の行動にかかわる法制」、「米軍の行動にかかわる法制」、「自衛隊と米軍の行動に直接かかわらないが国民の生命、財産を保護するための法制」について検討され、次の関連法が整備された。

 

先ず平成1520036月に武力攻撃事態対処関連3法として、平成1520036月に「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」等が制定された。

 

次いで、平成162004年)に有事関連7法として、に「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)」等の制定、条約としてジュネーブ諸条約第1追加議定書(国際的武力紛争の犠牲者の保護)、ジュネーブ諸条約第2追加議定書(非国際的武力紛争の犠牲者の保護)への加入等が行われた。

 

〇 防衛庁の防衛省への昇格(平成191月)(2007)

 防衛省は、昭和29年(1954)6月9日に「防衛庁設置法」として公布、同年7月1日に施行された、平成18年(2006)12月22日に防衛庁が内閣府の外局から独立した省へと昇格するための改正が公布され、題名も「防衛省設置法」と変更、平成19年(2007)1月9日に施行された。

 

この改正により、

① 本法題名を「防衛庁設置法」から「防衛省設置法」に改称、

② 内閣府の外局としての防衛庁から独立した省庁としての防衛省に格上げとなり防衛庁長官は防衛大臣になる、

 

③ 国際平和協力活動を自衛隊の付随的任務から本来任務に変更、

④ 防衛施設庁は防衛省の外局となった、

の各点について変更がなされた。

 

平成27年(2015610日、改正防衛省設置法が成立。改正前は、防衛大臣が制服組トップの各幕僚長らに指示や監督を行う際、背広組の官房長や局長が防衛大臣を補佐すると規定された。

 

これが背広組優位の根拠とされ文官統制と言われていたが、改正法では、官房長や局長は、各幕僚長ら相まって防衛大臣を補佐するとして、制服組・背広組が対等の関係となった。背広組は政策面、制服組は軍事面で防衛大臣を補佐する。

 

〇 家安全保障会議及び内閣官房国家安全保障局の設置(平成25年~26年)20132014

安倍政権は、国家安全保障会議(日本版NSC)及び内閣官房国家安全保障局の設置により、日本の安全保障体制の向上に大きな貢献をされた。同会議等の設置まで経緯は、対の通りである。

 

平成182006、第1次安倍内閣の行政改革として、既存の安全保障会議に替えて国家安全保障会議創設を提唱され、平成1920071月の通常国会に安全保障会議設置法改正案(以下、「改正案」)が提出された。しかし、同年9月の安倍総理が辞任され、同年12月、次の福田康夫内閣において国家安全保障会議の構想自体を白紙としたため、同改正案は審議未了により廃案となった。

 

平成2120099月に政権交代をした民主党政権において平成22201011月、党の外交防衛調査会において国家安全保障室(NSO)や国家安全保障会議の創設を提言したが、設立に向けた具体的な動きはなかった。

 

政権交代を賭けた平成24201212月の衆議院総選挙において、自民党は政権公約に「日本版NSCの設置」を盛り込んでいた。自民党大勝の結果発足した第2次安倍内閣下では、平成2520131月に発生したアルジェリア人質事件において、邦人の安否確認などの情報収集が困難を極めたことをきっかけに、再び国家安全保障会議設置の機運が高まった。

 

そこで平成2520132月に有識者会議を立ち上げ、同年6月、国家安全保障会議創設の関連法案を閣議決定し、同年10月の臨時国会に改正案を提出、自民党、公明党、民主党、みんなの党、日本維新の会などの賛成により成立し、同年124日に安全保障会議が国家安全保障会議に再編され、翌平成2620141月には国家安全保障会議の事務局である国家安全保障局が発足した。

 

同会議では、「国防の基本方針」、「防衛計画の大綱」、「防衛計画に関連する産業等の調整計画の大綱」、「武力攻撃事態等への対処」に関する方針や重要事項等を審議するよう11項目の審議対象が設定された。

 

〇 集団的自衛権の限定的行使を容認(平成265月)2014

安倍総理は、第1次安倍内閣の下に設置した自らの私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を再招集し、将来見通し得る安全保障環境の変化にも留意して安全保障の法的基盤について再度検討するよう指示、同懇談会はその後の検討を経て平成265月、憲法上「自衛のための武力行使は禁じられておらず、国際法上合法な活動への憲法上の制約はないと解すべき」、また「これまでの政府の憲法解釈に立ったとしても自衛隊が行使できる『必要最小限度』の措置に集団的自衛権も含まれていると解すべき」、「この判断は政治が適切な形で新しい解釈を明らかにすることにより可能である」との提言を含む報告書を提出した。

 

安倍総理は同報告書を受け、政府・与党において具体的事例に即して更なる検討を深め、同年71日、これまでの解釈を変更して、骨子「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限の実力を行使することは憲法上許容される」として集団的自衛権の限定的行使を容認する等の閣議決定を行った。解釈改憲との批判のある中、この方針を受け今後安全保障法制の具体的整備が進められることになるが、その動向、進展が注目される。

〇 平和安全法制の整備(平成27年)2015

平成2720159月に平和安全法制関連2法と呼ばれる「平和安全法制整備法(通称)」と「国際平和支援法(通称)」が制定された。

 

「平和安全法制整備法(通称)」は、自衛隊法、周辺事態法、船舶検査活動法、国連PKO協力法等の改正による自衛隊の役割拡大(在外邦人等の保護措置、米軍等の部隊の武器保護のための武器使用、米軍に対する物品役務の提供、「重要影響事態」への対処等)と、「存立危機事態」への対処に関する10の法律を一括改正する内容となっている。

 

「国際平和支援法(通称)」は、「国際平和共同対処事態」における協力支援活動等に関する制度を定めることを内容としている。

 

2次安倍内閣で国家戦略として「積極的平和主義」が打ち出され、また、朝日新聞の「従軍慰安婦」記事取消で言論空間にも変化の兆しが見えてきたことは「普通の国」への大きな前進と思う。

 

〇安全保障関連3文書改定と防衛政策の大転換

 平和政策研究所の上席研究員西川 佳秀氏は、同所の政策オピニオンで次のように記している。(抜粋)

 

政府は令和420221216日、外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など安全保障関連3文書を改定し、閣議決定した。「国家安全保障戦略」は外交・安保政策の基本方針で、平成25201312月に安倍政権によって策定された。今回が初の改定となった。また今回の改定では従来の「防衛計画の大綱」は「国家防衛戦略」に、「中期防衛力整備計画」は「防衛力整備計画」に改められた。

 

改定を必要とした背景:厳しさを増す国際環境

中国は、建国百年となる2049年までに米国を凌ぐ世界最強の国家となることを目標に掲げ、経済成長をバックに年々軍事力を強化してきている。南シナ海では環礁を不法一方的に占拠し軍事基地建設を強行、尖閣諸島に対する威嚇行動を急増させ、台湾への武力行使が懸念される。

 

北朝鮮は昨年、過去にない異例の頻度で弾道ミサイルなどの発射を繰り返している。

ロシアは、北方領土を含む東部軍管区で大規模軍事演習を実施するなど極東方面でも軍事的な威嚇を行っている。

 

改定のポイント

〔国家安全保障戦略〕

 「国家安全保障戦略」では、安全保障政策の基本原則として「国際協調を旨とする積極的平和主義の維持」「自由、民主主義、基本的人権の尊重等の普遍的価値の維持・擁護」「平和国家として、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国 とはならず、非核三原則を堅持するとの基本方針の堅持」「拡大抑止を含む日米同盟を安全保障政策の基軸とする」「同志国との連携、多国間の協力の重視」の五つの柱を掲げた。

 

国家防衛戦略〕

 「国家防衛戦略」を見ると、防衛力の抜本的強化に当たって

①スタンドオフ防衛能力 

②統合防空ミサイル防衛能力

③無人アセット防衛能力

④領域横断作戦能力

⑤指揮統制・情報関連機能

⑥機動展開能力・国民保護

⑦持続性・強靱性の7分野を重視するとしている。

 

〔防衛力整備計画〕

 「防衛力整備計画」では、主要事業として、スタンドオフ防衛能力については長射程ミサイルの量産取得や米国製トマホークの導入、統合防空ミサイル防衛能力ではイージス・システム搭載艦の整備、無人アセット防衛能力では、無人機の整備が挙げられた。また宇宙作戦能力を強化するため、航空自衛隊は航空宇宙自衛隊と改められる。

 

論点と課題

〔脅威認識について〕

 これまでの国家安全保障戦略では中国の対外姿勢や軍事動向などは我が国を含む「国際社会の懸念事項」と捉えていたが、今回の改定では「国際社会の深刻な懸念事項」と表現を改め、「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と記した。

 

 米国は202210月に公表した国家安保戦略で中国を「米国の最も重要な地政学上の挑戦」と位置づけており、それと平仄を合わせている。だが、中国から距離の相違がある米国と日本の対中脅威感は同じではない。

 

 自民党内には「脅威」という文言を使うべきだとの主張があったが、結果的に慎重な立場の公明党が難色を示し、上記の表現に落着したといわれる。

 

〔反撃能力について〕

 前回の国家安全保障戦略では、安倍元総理が提唱した「積極的平和主義」の概念が前面に打ち出され、またそれを具体化するための施策が体系的に記載されていた。それに比して今回改定された国家安全保障戦略では、安全保障政策に対する特徴的な哲学やコンセプトは影を潜め、それに代わり「反撃能力」の保有を強調したものとなっている。

 

 そこで、反撃能力に関わる重要事項や課題、問題点として、次の項目をあげている。

<反撃能力の行使時期>

<反撃能力を長射程ミサイルに限定することの是非>

<米中のミサイルギャップ克服と台湾有事を睨んだミサイル反撃能力>

<長射程ミサイルの抑止効果><懲罰抑止力保有の検討>

 

〔防衛費の大幅な増額について〕

 冷戦終焉後、日本の防衛予算は抑制を強いられてきた。例えば1988年当時、日本の防衛予算は韓国の一般会計予算を大きく上回っていたが、最近では韓国の防衛予算が日本の防衛予算を上回るようになっている。

 

 日本の防衛予算が低い水準で推移しつつあった時期、中国は軍事費を急増させてきた。今回、増大する脅威に対処するため防衛力の抜本的強化に乗り出し、防衛費の対GDP比を2%に引き上げる方針が打ち出されたが、安全保障を万全なものとするために必要な措置であり、また防衛予算が抑え込まれてきたこれまでの経緯に鑑みれば、ある程度の防衛費増もやむを得ない措置といえる。

 

ウ 国際的な評価の向上

〇インド太平洋構想

自由で開かれたインド太平洋戦略(平成288月)(2016)

日本の外交戦略としてのインド太平洋構想は、安倍晋三氏によって提唱され、推進されてきた。この構想は第1次安倍政権の価値観外交における「自由と繁栄の弧」の概念に始点を持つ。「自由と繁栄の弧」とは、北欧諸国、バルト三国、中欧・東欧、中央アジア・コーカサス、中東、インド亜大陸、東南アジア、北東アジアにつながる弧状の地域を、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済といった価値を基礎とする地域を目指すものであった。

 

 安倍氏平成192007)822日にインド国会で行った「二つの海の交わり」という演説で、日印戦略的グローバル・パートナーシップが、この構想の要をなすと述べた。

 

「自由で開かれたインド太平洋戦略」(Free and Open Indo-Pacific Strategy。以下、FOIP)は、日本が提唱したコンセプトで米国も追随した安全保障協力枠組みであり、その中核には日本、米国、オーストラリア、インドの民主主義4カ国が構成する「Quadrilateral」(四角形)が据えられている。

 

 安倍首相は平成282016年)8月にケニアで開催されたアフリカ開発会議の基調演説で「世界に安定、繁栄を与えるのは、自由で開かれた2つの大洋、2つの大陸の結合が生む、偉大な躍動にほかなりません」と述べ、平成292017年)版外交青書は安倍首相がFOIPを対外発表したと述べている。これ以降インド太平洋という言葉が頻繁に用いられるようになった。1711月に初訪日したトランプ大統領は安倍首相とFOIPで合意している。

 

日本の構想は、中華人民共和国の経済的台頭を意識して、インド洋と太平洋を繋ぎ、アフリカとアジアを繋ぐことで国際社会の安定と繁栄の実現を目指す。

 

 構想実現の3本柱として、「法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着」、「経済的繁栄の追求(東南アジア・西南アジア・中東・東南部アフリカの連結、EPA/FTAや投資協定を含む経済連携)」、「平和と安定の確保(海上法執行能力の構築、人道支援・災害救援等)」が挙げられている。

 

●セキュリティ・ダイヤモンド構想からインド太平洋へ(平成2910月)(2017)

平成292017年)10月、トランプ大統領との電話会談で「自由で開かれたインド洋・太平洋地域」を推進し、日米の緊密な協力によって国際社会とともに核・ミサイル開発を継続している北朝鮮に最大限の圧力をかけることの重要性を確認した。

 

同年116日にドナルド・トランプ大統領は安倍晋三首相との首脳会談後、「Free and Open Indo- Pacific Strategy」を日米共同外交戦略として発表した。

 

同年1110日にベトナム・ダナンで行われていたAPEC (アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議で行った演説で、「インド太平洋の全ての国々との間で友好と通商の絆を強化し、また、我々の繁栄と安全保障の促進に共に取り組むため、米国との新たなパートナーシップを提供する」と述べ、今後もAPEC諸国の友人、パートナー、同盟国であり続けると強調しました。

● インド太平洋戦略(平成3011月)(2018)

 平成30201811月にペンス副大統領がパプアニューギニアで今月中旬に開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で演説し、インド太平洋諸国への包括的な支援策を表明すると明らかにした。インフラ整備のため最大600億ドル(約6兆8千億円)を民間企業に融資する方針を示す。なお「インド太平洋戦略」から後に「インド太平洋構想」に改められた。

 

● QUAD

 『情報と国家』北村滋(中央公論新社)2021910日(P-84~)抜粋

 

QUADは、わが国、米国、オーストラリア、インドの四か国を四角形に結ぶことで、四つの海洋民主主義国家の間で、インド太平洋におけるシーレーンと法の支配を貫徹するというのが基本コンセプトです。

 

 その萌芽は、第一次安倍政権下、2007年のインド国会における「二つの生みの交わり」(Confluence of the Two Seas)と題する当時の安倍総理の演説にも現れております。

 

 さらに、2012年に公表された「Asia’s Democratic Security Diamond 」という英語論文において、安倍前総理は、日米豪印のセキュリティ・ダイヤモンドという形で一層具体化されました。

 

 その発展形が「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想ですが、トランプ前大統領は面子にこだわらずにこの考えを率直に取り入れてくれました。


(参考)産経新聞正論「戦後レジューム脱却、最後の機会」


追記:2024.1.16


おわりに


以上、わが国の防衛意識の現状と戦後レジュームからの脱却について、特に安倍元総理の功績を中心に述べてきたが、戦後レジュームは現在も大きくその影響を残しており、その脱却には安倍元総理の存在が極めて大きいと思っていましたが、残念ながら志半ばで凶弾により亡くなられたことははかえすがえすも残念である。

 

戦後レジュームにより日米安保体制下平和で経済発展した国が築き上げられた現実があり、多くの国民はこの体制を受容し世論もこれを是としている。

 

しかし、革新派はもちろん保守派の人も古き良き国柄・倫理観や家族制度等が根底から変革されて、正常な国家観や歴史認識及び家族愛や愛国心が喪失されたことの重大さに気付いていないのではないか。

 

 現在の平和で豊かな生活は、今次大戦で国の為に命を賭して戦った先人たちの賜物であり、今、「戦後レジューム」から脱却しなければ、将来、我々の子孫に大きな禍根を残すことになろう。

 

しかしながら、戦後レジュームとして現存するものには、日本国憲法、教育基本法以外にも、財政法第4条(防衛に対する国債発行の制限)、放送法4条、学術会議((防衛に関する研究制限)、海上保安庁法(軍事的要素の否定)など、普通の国家では考えられないレジュームが残存されているように思う。

 

現在も、夫婦別姓、LGBT、人権確保法案、外国人参政権唐、国論を2分するような動きがあるが、これは国民を分断する試みであり、日本の独立と平和と安全を阻害するものではなかろうか。

 

 幸い昨今、領土や歴史認識に係る中国・韓国との外交論争や朝日新聞の“従軍”慰安婦誤報謝罪等を通じて世論も少しずつ変化し、近現代史の見直しや教育勅語「12の徳目」の再評価の兆しも見られ、敗戦後の「精神的武装解除」から立ち直りつつあると思われ、近い将来、より多くの国民に「自国への誇り」を取り戻し「国の為に戦う」という愛国心が育まれることを期待したい。

 

団塊世代の我々は、次世代に平和で安全な日本を引継ぐ責務があり、そのためには日米安保体制の堅持と着実な防衛力整備を支持し、歴史認識の再考や道徳的規範の確立を通じて「自国への誇り」と「国の為に戦う」意識を取戻す啓蒙活動を行い、最終的には「戦後レジューム」の根源である憲法改正への世論形成に寄与する必要があるのではないだろうか。

 

最新の世界価値観調査では「もし戦争が起こったら国のために戦うか」との質問に対する日本人の「はい」と回答したものが、安倍元総理が在職間に教育基本法の改正や平和安全法制の制定等により改善されつつあると思っていたが、前回(2010年)の15%から最新の調査では、13%と下がっていることが気になっていたけれど、今回の安倍元総理の国葬儀に際し、長時間の行列(私の場合は12301630を要したにもかかわらず、多数の参列者が献花に訪れたことを見ると、安倍元総理の「戦後レジュームからの脱却」に関する政策が少しずつ身を結びつつあるのではないかと期待している。 

 

なお、この拙文の内容は、個人的な見解であり、ボランティア活動の調査研究チーム内においても意見の一致を見なかったところもある。また、拙文は、Webサイト(主としてWikipedia)から引用しており、引用元が分からなくなっているものがありますが、ご容赦願いたい。

 

参考文献

『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史(敗戦利得者史観を排す)』(渡部昇一著:徳間書店刊)

『日本人への遺言』(渡部昇一著:徳間書店刊)

『美しい国へ』(安倍晋三著:文藝春秋刊)

『「安倍一強」の秘密』(石橋文登著) 

『トレイシー(日本兵捕虜秘密尋問所)』(中田整一著:講談社刊)


新設:2023.4.15 修正:2024.1.16